

ブルーズ氷河期とも言われていた1980年代、しかし裏では密かにブルーズリヴァイバルというブームも起きていました。
映画「ブルース・ブラザーズ」のヒット、まだB.B.キング、アルバート・キング、オーティス・ラッシュなどが健在だったこともあります。
トリガーとしては1983年、デヴィッド・ボウイがアルバム「レッツ・ダンス」でギターにスティーヴィー・レイ・ヴォーンを起用して大ヒットさせたこと。
さらには1986年エリック・クラプトンが若きブルーズマン、ロバート・クレイのナンバー「バッド・インフルエンス」をアルバム「オーガスト」カバーしたことなどが挙げられます。
そのブームの中心にスティービー・レイ・ヴォーン・アンド・ダブル・トラブルというバンドがいました。
「いました」という過去形は今は廃(すた)れて誰も知らない、なんていう意味ではありません。
このバンドはまだまだいろんな意味で上り調子だったた1990年8月27日に解散を余儀なくさせられました。
バンドの中心人物であるレイ・ヴォーンがウィスコンシン州を移動中に乗っていたヘリコプター墜落事故によって亡くなられてしまったからです。
当時はすでにエリック・クラプトンなどと肩を並べるほどの、とはいかないまでもクラプトンも認めるほどの実力、名声を手に入れようとしていた時期です。
実際、この時はエリック・クラプトンのツアーのオープニング・アクトをい務めていてその一環の中での出来事でした。
クラプトンの名曲「ティアーズ・イン・ヘヴン」は息子を失ったことへの悲しみを歌ったものとして有名ですが、スティーヴィー・レイ・ヴォーンのことも重ね合わせているとの発言もあったと記憶しています。
スティーヴィー・レイ・ヴォーン・アンド・ダブル・トラブルのデビューアルバムがリリースされたのが1983年です。
わずか7年ほどの活動期間ながらその影響力は凄まじいものがありました。
世の中はテクノ、ラップ、ヒップホップなどの新しいジャンルが出現していたこの時期に、20年ほど前に流行っていたようなブルーズ・ロックという時代に合わない音楽で世間の注目をひいたのです。
というのも次のような状況がありました。
(以下、自分勝手な解釈です)
1960年代、70年代とロックを聴いてきたロックファンの一部にはにはテクノもニュウウェイブもラップもそれほど馴染めない層がいました。
近いものにはアリーナロックと言われるハードロック、プログレ、ポップスなどをミックスして大規模会場で派手にやるロックがありました。
問答無用でノレる楽しめる、カタルシスを得やすいロックです。
しかしながらこれはこれで問題なのです。
世の中からはみ出し、ヒネくれてなかなか新しい音楽を迎合できない、という「昔ながらの不良の音楽が好き」、という偏屈なロック野郎もいたのです。
産業ロックはなあ・・・と複雑な心境でした。(すいません、私のことです)
そこに登場した、まるで強引に20年ほど時代を引き戻したようなスティーヴィー・レイ・ヴォーンの音楽には共感しやすいものがありました。
しかも見た目からして帽子をかぶった無骨な、まんまテキサス野郎という出立(いでたち)です。
時代遅れとなっていたサザンロックなどを好きな向きにはこれは安心できました。

ファーストアルバム制作については次の通りです。
1982年のモントルー・ジャズ・フェスティバルでダブル・トラブルを見たジャクソン・ブラウンが自身のスタジオを3日間無料で使用することを申し出ました。
ロサンゼルスのダウンタウン・スタジオが3日間でレコーディング期間が用意されたのですが、セッティングなどで初日は潰れたので、実質2日間でレコーディングされました。
スタジオでは3人が円形になって演奏し、オーバーダビング無しという状況だったそうです。
ちょっと専門的な話になりますが、ギターアンプはフェンダーのヴィブロバーブ2台とダンブルのダンブルランド・スペシャル。
ギターのエフェクト・ペダルはアイバニーズのチューブ・スクリーマーのみだったそうです。
このタイプのギタリストはギターとアンプのセッティングには細心の注意を払って時間をかけますが、シンプルな構成を心掛ける傾向にあります。
そしてメインストリームを動かすようなブームを巻き起こしたのです。
スティーヴィー・レイ・ヴォーン・アンド・ダブル・トラブルの誕生したテキサス州にはテキサス・ブルースと言われるジャンルがあり、ブルーズ、R&B、ロックに影響を与えた偉人をたくさん輩出しています。
ただし、個人的にはですが、あまりみんなに共通点を感じられないのがまた面白いところだと思います。
1930年くらいにはブラインド・レモン・ジェファーソンというブルーズの初期段階における重要人物がいました。

その後はカントリー・ブルーズとしては有無を言わさない存在のライトニン・ホプキンス。

モダン・ブルーズとしてはロックギターの基礎となるエレクトリック・ギター奏法を作り上げたTボーン・ウォーカー。

いかにもテキサスという風情の豪快なロックンローラー、ジョニー・ウインターなどです。

よくよく考えるとテキサスとルイジアナは隣同士でさらにはメキシコにも隣接しています。
ルイジアナのブルース、ジャズ、ケイジャン、ザディコなどの豊穣な音楽やメキシコのラテン系音楽の影響もかなりみられます。
ルイジアナとの州堺近くには一応ブルーズマンですがギターをはじめヴァイオリン、ピアノ、ドラムも叩け、ブルーズ、ケイジャン、カントリー、ジャズとなんでもこなすクラレンス・ゲイトマウス・ブラウンというとっても変な才人も現れています。(この人も奥が深いです)

レイ・ヴォーンと同じくテキサスのブルーズをベースにしたロックミュージシャンとして最初に思い浮かべるのは10歳ほど年上の「100万ドルのギタリスト」と呼ばれ、鳴り物入りでデビューしたジョニー・ウインターです。
レイ・ヴォーンは先輩のジョニー・ウインターについては微妙な距離感を持っていたようです。
嫌っていたというほどではないにしろ、そんなに好きなミュージシャンではなかったようなことを答えています。
ジョニー・ウインターはインタビューでレイ・ヴォーンとの違いを訊かれて
“mine’s a little bit rawer, I think.”「俺の方がちょっとだけ荒削りかな」
と答えています。
ここで二人の違いを考えてみましょう。
ギタリストでブルーズをイメージした楽曲を作り、歌いギターを演奏するという点では同じです。
奏法としてはジョニー・ウインターはサムピックという親指にピックをつけて親指で弦を弾く弾き方です。
一方レイ・ヴォーンは普通にフラットピッキングと呼ばれる、ピックを親指と人差し指で挟んで弦を弾く弾きます。
両方ともカントリーやブルーズにおいてはメジャーな弾き方ですが、レイ・ヴォーンはピックを持った方がより繊細なタッチができると思っていたようです。
ということをある映像を見た時に感じました。
1980年代にMTVと同様に小林克也さんによる「ベストヒットUSA」やピーター・バラカンさんによる「ボッパーズMTV」などのミュージックビデオを中心とした音楽番組がありました。
そのベストヒットUSAに来日中のスティーヴィー・レイ・ヴォーン・アンド・ダブル・トラブルがゲスト出演する回がありました。
当然、私などはウレションもらしながらテレビにかじりついて見ていたものです。
レイ・ヴォーンはギブソン・フライングVを持って登場しました。
(これはかなりレアな風景です。ブルーズが好きな人はみんなここで、あっ、そうですかアルバート・キング先輩もお好きなんですね、と思うところです。共演もしています)
番組では最初はみんなで座ったままジャグバンド風に挨拶がわりのセッションをします。
ベースに至ってはマイクでベースの音を真似していました。
それからインタビューを終えて、最後に何か1曲弾いてみてください、とのリクエストでレイ・ヴォーンがギターソロを始めます。
「普段はこういうところではこの曲は演らないんだけどね」とか言いながら「リヴィエラ・パラダイス」というアルバム「イン・ステップ」に入っているナンバーを演奏したのでした。
それはジャズ的でジャズ・ギタリストのジョニー・スミスみたいな演奏でした。
ピックで弾いたり、指で弾いたりとトーンにすごくこだわっている様子が伺えました。
ジョニー・ウインターは世代的にもそうなのですが、ブルーズ、R&Bを取り入れ昇華したロック・ミュージシャンでした。
他方、レイ・ヴォーンはロック、R&B、ジャズまでも取り入れ昇華したブルーズマンだったのです。
ジョニー・ウインターはギターを楽器として鳴らしきることの追求しました。
そしてレイ・ヴォーンはギター表現のダイナミックレンジを限界まで広げようとしたのでした。
この辺りはジミ・ヘンドリクスに共通しています。
はい、どちらもわたくしなんぞでは考えの及ばない世界ですな。

アルバム「テキサス・フラッド ー ブルースの洪水」のご紹介です。

演奏
スティーヴィー・レイ・ヴォーン ヴォーカル、ギター
トミー・シャノン ベースギター
クリス・レイトン ドラム
プロダクション
プロデュース スティーヴィー・レイ・ヴォーン、リチャード・マレン、トミー・シャノン、クリス・レイトン
エギゼクティヴ・プロデューサー ジョン・H・ハモンド
プロダクション・アシステント ミッキー・ハリス
エンジニアリング リチャード・マレン
エンジニアリング・アシステント ジェームス・ゲデス
ミックス リンカーン・クラップ(Tr.9のヴォーカル・レコーディングも担当)
ミックス・アシスタント ドン・ワーシュ、ハリー・スピリダキス
マスタリング ケン・ロバートソン
カバー・アート ブラッド・ホランド
トレイカード・フォト ドン・ハンスタイン
アート・ディレクション ジョン・バーグ、アレン・ワインバーグ
1999年リイシュー
エグゼクティヴ・プロデューサー トニー・マーテル
プロデューサー ボブ・アーウィン
マスタリング ヴィック・アネシーネ
トラック12 ミックス ダニー・カダール
歌詞編集 ダーシー・プロパ=
リサーチ・アシスタンス ジョージ・ディール、アル・クアグリエリ、マシュー・ケリー、ジョン・ナーチェス
アート・ディレクション ジョシュ・チューズ
編集 アンディ・シュワルツ
ライナー・ノーツ マイケル・ベンチュラ



曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。各曲ごとのライブ映像も合わせてどうぞ。
1, Love Struck Baby ラヴ・ストラック・ベイビー
(スティーヴィー・レイ・ヴォーン)
オープニングは挨拶がわりに軽く飛ばしていくロックンロールです。軽くと言ってもギター、ベース、ドラムだけの3ピースバンドで、しかもオーバーダビングなしという状態でこの余裕は脅威です。バンド自体、相当練り込んで音を作っているであろうことがわかります。
1982年、モントルー・ジャズ・フェスでのライブです。ストラトキャスター(ギター)の弾きこんだためのダメージ具合がまたええ感じです。
2, Pride and Joy プライド・アンド・ジョイ
(スティーヴィー・レイ・ヴォーン)
続いても余裕を感じさせるシャッフルです。終盤のギターソロ、ツッコミ、裏表、このタイム感はすごいです。
3, Texas Flood テキサス・フラッド
(ラリー・ディヴィス、ジョセフ・ウェイド・スコット)
スロー・ブルーズです。ジミ・ヘンドリクス同様、こういう曲だったらいつでも、いつまでも余裕で演れるんだろうなあと思わされます。
4, Tell Me テル・ミー
(ハウリン・ウルフ)
メンフィス出身、シカゴブルーズの大物ハウリン・ウルフのカバーです。名盤「ハウリン・ウルフ」のラストを飾るナンバーです。あのまだ生きているのに追悼盤みたいな椅子とギターのみの有名なジャケットのやつです。この曲のカバーもギターソロのツッコミが気持ちいいナンバーです。
5, Testify ティスティファイ
(ロナルド・アイズレー、オケリー・アイズレー・ジュニア、ルドルフ・アイズレー)
アイズレー・ブラザーズ1964年のヒット曲のカバーです。オリジナルの歌詞にはレイ・チャールズ、ジェームス・ブラウン、ジャッキー・ウィルソンなどが登場してちょっとした物真似も入ります。最後はビートルズも登場し、ここでいかにもなコーラスが入ってきます。ジミ・ヘンドリクスがアイズレー・ブラザーズにいた頃のナンバーです。スティーヴィー・レイ・ヴォーンとダブル・トラブルはここではインストでカバーしています。ジミ・ヘンドリクスへの敬意が感じられます。
オリジナル・アイズレー・ブラザーズ・バージョンです。
6, Rude Mode ルード・モード
(スティーヴィー・レイ・ヴォーン)
これもインストの超高速ロックンロール・ナンバーです。安定したリズム感と尽きないアイデア、湧き上がるフレーズに恐れ入ります。
7, Mary Had a Little Lamb メアリー・ハド・ア・リトル・ラム
(バディ・ガイ)
この「メリーさんの羊」という曲は色々とありますが、ここでは1968年のバディ・ガイのバージョンのカバーです。(童謡でもポール・マッカートニーでもありません)
隙のないどっしりとした、なおかつクールなアレンジです。
8, Dirty Pool ダーティ・プール
(ドイル・ブラムホール、スティーヴィー・レイ・ヴォーン)
これまた緊張感のあるスロー・ブルーズです。2:50あたりからのギターソロ、通常のいきなりトップスピードで始まるのではなく、じわじわと盛り上げていきます。しかも泣きのフレーズではありません。この辺もタダモノデハナイ感がハンパないです。
9, I’m Cryin’ アイム・クライン
(スティーヴィー・レイ・ヴォーン)
そしてまた余裕のミドルテンポのシャッフルです。デビューアルバムでこの安定感は本当にすごいと思います。
10, Lenny レニー
(スティーヴィー・レイ・ヴォーン)
タイトルは当時の妻であったレノーラさんのことだそうです。レイ・ヴォーンは自分のギターの1本にもレニーと名付けていました。
このギターとの出会いは、オースティンの質屋にあったのを見つけたところから始まります。
レイ・ヴォーンはすごく気に入ったのですが350ドルという価格は当時のレイ・ヴォーンには手が出ませんでした。
しかしそれを知ったレノーラが知り合いに声をかけ、ひとり50ドルずつのカンパを集めて費用を捻出、誕生日にプレゼントしたそうです。
もちろんオリジナル曲ですが、ジミ・ヘンドリクスの「ウインド・クライズ・メアリー」とか「リトル・ウイング」を連想するフレーズがたくさん出てきます。
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