「カントリーミュージックの父、アメリカの青い目のヨーデラー」The Singing Brakeman : Jimmie Rodgers / ザ・シンギング・ブレーキマン : ジミー・ロジャース

 ジミー・ロジャースという名前の世界的な名声を持つミュージシャンはブルース、ポップスの世界にもいますが、ここでは1番の重要人物「カントリーミュージックの父」と言われるジミー・ロジャースについてのご紹介です。
その呼び名の通り、偉大なるカントリーミュージックの開発者であります。
ブルーズの影響を受けた部分も多く感じられ、またブルーズマンへも影響力絶大でした。

活動期間は6年間で114曲ほどレコーディングしています。
録音数が多いことからも裏付けられますが、人気者でレコードを出すたびにアメリカ全土で大ヒットしました。そして当然、広範囲にわたって影響を与えます。
ブルーズ界の御大、マディ・ウォーターズやビッグ・ビル・ブルーンジー、ハウリン・ウルフなどにも影響を与えました。
中でもハウリン・ウルフは子供の頃からジミー・ロジャースが憧れだった様で、ヨーデルを真似したところウルフ独特のあの怖い呻き声になったそうです。(それ世界が違いすぎるというツッコミを入れたいところです。もしかしたらジョークかも、と思ってしまいます)

私の持っているアルバムはCDで「ザ ・シンギング ・ブレーキマン」というカラーの挿絵のジャケットのものです。
当然ジミー が活躍した1920年代はまだSP版しかないのでジミー・ロジャースのアルバムは全てシングルの寄せ集めです。
言ってしまえば全曲、曲調もそんなに変わらないので、手に入れたアルバムによってイメージが全然変わってしまうなんてことはありません。

1987年9月8日に生まれたことは知られていますが、出生地については諸説があります。
ミシシッピ州メリディアンとかアラバマ州ガイガーとか言われていましたが、現在の主流はミシシッピ州パインスプリングスというのが有力です。
三人兄弟の末っ子となっていますが、本当は七人兄弟の6番目として生まれたそうです。(他の兄弟は多分早期に死別)
6歳か7歳くらいの時に母と死別し、親戚に預けられたりしています。
父はモービル・アンド・オハイオ鉄道という会社に勤めており、再婚してメリディアンに移ったの時に、ジミーも一緒に暮らすようになったそうです。

ジミーは13歳までに2度、旅公演の一座に加わりますが2度とも父親に連れ戻されました。
そこで父は仕事として鉄道の給水係をさせます。この時に労働者や放浪者から楽器を教えてもらいました。また。アフリカン・アメリカンの労働者の労働歌を聞くことも多かったそうです。
数年後にはニューオリンズ・アンド・ノースイースタン鉄道のブレーキ係になります。
愛称 “シンギング ・ブレーキマン” と言われる所以です。

1924年、27歳のときに結核を患い、鉄道の仕事をやめてかねてからやりたかった芸能の世界に入ります。
旅公演の一座を結成してアメリカ東部を回っていた時、ハリケーンでテントが飛ばされ、また昔の鉄道の職に戻らざるを得なくなりました。
今度はフロリダ州マイアミ、アリゾナ州ツーソンに移りながら鉄道の仕事を続けますが、長くは続きませんでした。
そして最終的にノースカロライナ州アシュビルに行き、ラジオ番組を担当することになります。同時にバンド「ジミー・ロジャース・エンターテイナーズ」を結成しています。

レコードデビューのきっかけは1927年7月、ラジオ局を解雇されてブルーリッジ・マウンテンあたりのホテルで演奏活動をしている時、バンドメンバーがビクターのオーディション情報を入手しました。
オーディションは8月4日です。

8月3日に翌日の本番に備え、バンドでリハーサルを重ねていましたが、議論が白熱してバンドは解散した。という「喧嘩別れ説」がひとつあります。

またジミーはギター販売の委託を受けていて、ギターを売ったがギターを渡した店舗にお金を払わなかった。バンドメンバーはそれに合意できなかったので、解散したという「売上横領説」もあります。

何れにしてもジミーは8月4日に一人で録音に現れ、2曲「Soldier’s Sweetheart」「Sleep Baby Sleep」を録音して100ドル手に入れました。

それが大成功して、以後6年間で114曲ほどを怒涛の如くレコーディングします。

1933年5月26日、35歳で肺出血なくなりました。結核を患っていましたが、ツアーやレコーディングを優先して、治療に真面目に専念しなかったため寿命を短くしたとも言われています。

ジミー・ロジャースの音楽はメロディアスで、軽い口調ながらも哀愁を感じさせます。不思議と古臭さは感じません。
そして重要なことは今でもいろんなミュージシャンのインスピレーションの元となっていることです。

アルバム「ザ・シンギング・ブレーキマン」のご紹介です。

Bitly
Bitly


曲目
*参考までにyoutubeをリンクさせていただきます。


01,   Blue Yodel (T for Texas)

02,   Away Out On the Mountain

03,   Ben Dewberry’s Last Run

04,   The Brakeman’s Blues (Yodeling the Blues away)

05,  Treasures Untold

06,   Blue Yodel No.2 (My Lovin’ Gal Lucille)

07,   In The Jailhouse Now

08,   Blue Yodel No.3 (Evening Sun Yodel)

09,   Daddy and Home

10,   My Little Lady

11,   My Carolina sunshine Girl

12,   Blue Yodel No.4 (California Blues)

13,   Waiting for a Train

14,   Any Old time

15,   Train Whistle Blues

16,   Frankie and Johnny

17,   Jimmie’s Texas Blues

18,   Blue Yodel No.6

19,   My rough and Rowdy Ways

20,   Hobo Bill’s Last Ride

21,   Nobody Knows But me

22,   Anniversary Blue Yodel (Blue Yodel No.7)

23,   My Blue-Eyed Jane

24,   Jimmie’s Mean Mama Blues

25.   Blue Yodel No.8 (Mule Skinner Blues)

26,   Blue Yodel No.9 (Standin’ on the Corner)

27,   Jimmie the Kid

28,   T.B blues

29,   Travelin’ Blues

30,   The Wonderful City

31,   Let Me Be Your Side Track (Alternate Take 1)

32,   Gambling Polka Dot Blues

33,   My Good Gal’s Gone Blues

34,   Hobo’s Meditation

35,   Peach Pickin’ Time in Georgia

36,   Gambling Bar Room Blues

37,   Miss the Mississippi and You

38,   I’m Free from the Chain Gang Now

39,   Jimmie Rodgers’ Last Blue Yodel 

40,   Mississippi Delta Blues

ジミー・ロジャースは基本的にギターを弾きながら歌います。本人は当然の様に所々でヨーデルを入れてきます。本来ヨーロッパのアルプス地方の民謡です。ヨーレイ、ヨーレイ、ホーと歌うあれです。
不思議なことに聴いていても「またか」とか「くどい」なんて感じないくらい自然に受け入れられます。
そんなおかげで空気が開放的な方向へ向かうので、耳につかない木訥とした声質と合わせて聞いていて疲れません。さらっと流しておいても耳障りでなく、読書や作業用にも適した音楽です。(個人の見解です)

音質についてはビクターの前身1927年「Victor Talking Machine Company」というところでで録音が開始されました。他の同時代の音源に比べてノイズが少なく音質はすごく良い状態です。

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