ジョニー・キャッシュが亡くなってもう20年ほど経とうとしています。
しかしながらカントリーミュージックのレジェンドとしていまだに存在感は衰える気配がありません。
ジョニー・キャッシュの音楽歴は大変長いもので、デビューしたのはエルヴィス・プレスリーと同じくらいです。
プレスリーがメンフィスのサン・レコードからのデビューしたのが1956年ですが、同じくサン・レコードよりジョニー・キャッシュは1957年にデビュー・アルバムをリリースしています。
エルヴィスはロックンローラーとして大成し、ジョニー・キャッシュはカントリーミュージックの大スターとなりました。
そして2003年に71歳で亡くなるまで半世紀近く音楽界に君臨します。
当然それだけ長い活動の中では多少の浮き沈みはありますが、ジョニー・キャッシュほどいつでもブレることなく自分のスタイルを貫いたという感じのミュージシャンはいないように思います。
これくらいのレジェンド、さらにカントリー、アメリカン・ミュージックの大御所となれば、普通だとご意見番として安泰に君臨するのが普通です。
しかしこの人は過去の栄光とか地位にしがみつくようなことは一切無く、一貫して現場主義でした。
驕り高ぶるどころか逆に常に自分のことを第三者的な視点で見ているような印象です。
それは彼の生い立ちを考えると合点がいく部分もあります。
「アット・フォーサム・プリズン」の時にも書きましたが、子供の頃に兄が電動鋸の事故で亡くなっており、そこからいろんなことを絡めて自分に負い目を感じていたようです。
そういうことが関係して自分のことには無防備で皮肉な目で見れるのに、弱い人には寄り添うという生き方ができたのかと思われます。
ネイティヴ・アメリカンのための活動などもその一つです。
1964年「I Walk the Line」で大成功した直後、ネイティヴ・アメリカンをテーマとしたコンセプトアルバム「Bitter Tears : Ballads of the American Indian」をリリースします。(名盤です)
しかし時代が時代なだけにレコード会社にプロモーションを拒否され、終いにはそういうことが原因でキャッシュはカントリーミュージック協会(CMA)を脱会しています。
1970年代に入ると全身黒ずくめのファッションとなりました。
「貧しく飢えた人々、長い間罪の償いをしてきた囚人、そして年齢や麻薬によって裏切られた人々のために全身黒ずくめの服を着た」と語っています。
実は割と若い頃からそういう服装が好きでニックネームは「アンダーテイカー=葬儀屋」だったそうです。
ジョニー・キャッシュは自分より若いミュージシャンの作品などでもいいと思えばすぐにカバーしたりしています。
カントリーに限らずボブ・ディランやトム・ペティなどの曲もカバーしました。
それはショーや売り上げなどの自分のためではなく、純粋にいい音楽への、作曲者へのリスペクトと思えるものです。
2025年、ボブ・ディランの1960年代を描いた映画「名もなき者」が公開され、その中でもディランを理解し勇気づける男という重要な役でジョニー・キャッシュは描かれています。
映画を見ていると、ジョニー・キャッシュがボブ・ディランの耳元で「俺は聴きたい」とボソッと言うシーンで思わず涙が出そうになりました。
(ちなみにキャッシュのバックバンド「ザ・テネシー・スリー」もちゃんと描かれています)
ジョニー・キャッシュの後期のピークとしては、1994年リリースの「アメリカン・レコーディングス」が代表として挙げられます。
1980年代はスーパーグループ「ハイウェイメン」で活躍しましたが1990年代はこのシリーズでまた評価されました。
レーベルは「アメリカン・レコーディングス」、タイトルも「アメリカン・レコーディングス」
アメリカを、アメリカ文化を、アメリカ人が、記録したぜ。というなんとも潔い、味わい深いタイトルと内容になっています。
ジョニー・キャッシュの生き様を考えると、ただのダジャレとは思えないような奥深さが感じられまする。
内容は全編にわたってジョニーの弾き語りです。
テネシー州のキャッシュの山小屋みたいなところかプロデューサーであるジャック・ルービンのロサンゼルスにある邸宅でレコーディングされました。
なので音質云々とか考えることもなくただひたすらにリアルなジョニー・キャッシュを聴くというアルバムになっています。
このシリーズは好評でキャッシュの死後も2010年まで続き、7枚ほどリリースされることになります。
アルバム「アメリカン・レコーディングス」のご紹介です。
制作
ジョニー・キャッシュ アコースティックギター、ヴォーカル、ライナーノーツ
リック・リービン プロデューサー
ジム・スコット ミキシング
デヴィッド・R・ファーガソン エンジニア
スティーヴン・マーカッセン マスタリング
クリスティン・カノ デザイン
マーティン・アトキンス アートディレクション、フォト
曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。
1, Delia’s Gone デリアズ・ゴーン
(ジョニー・キャッシュ、カール・シルバースドルフ、ディック・トゥープス)
この曲は1962年の「The Sound of Johnny Cash」にも収録されています。「Folsome Prison Blues」や「I Shot a Man in Reno just to Watch Him Die」と同じような曲がもう1曲欲しいとなってこの曲を探し出した。この曲は改良してやり直すべきだった、と語っています。
妻を銃撃して刑務所に入った男の歌です。
最初に彼女を売ったのは脇腹だった
彼女が苦しむのをみるのは辛かった
だが二発目で彼女は死んだ
デリアはもういない、あと一発で、デリアはもういない
という凄まじい詩です。
2, Let the Train Blow the Whistle レット・ザ・トレイン・ブロウ・ザ・ホイッスル
(ジョニー・キャッシュ)
ブルーズでも馴染みのある「エロくていかがわしい系」のタイトルと中身です。
サビのところがエリック・クラプトンの「Let It Glow」に似ています。
3, The Beast in Me ザ・ビースト・イン・ミー
(ニック・ロウ)
1960年代から活躍しているイギリスのミュージシャン、ニック・ロウの作です。
私の中の獣は脆くて壊れやすい檻に閉じ込められている、という内容です。
4, Drive On ドライヴ・オン
(ジョニー・キャッシュ)
伝統的な語り調の曲です。ベトナム戦争や戦友のことなどが歌われています。こういう歌い方などはキンクスのレイ・デイヴィスも参考にしています。
5, Why Me Lord ホワイ・ミー・ロード
(クリス・クリストファーソン)
ジャニス・ジョプリンの「ミー・アンド・ボビー・マギー」で有名なクリス・クリストファーソンの作です。内容は自分の辛い運命について神様に伺うというゴスペル・ソングです。
6, Thirteen サーティーン
(グレン・ダンジグ)
作者のグレン・ダンジグは初めて聴く名前ですが、アメリカの俳優、映画監督、プロデューサーもこなすミュージシャンだそうです。首に13というタトゥーを入れた不幸極まりない男の絶望の歌です。
7, Oh Bury Me Not (Introduction : A Cowboy’s Prayer) オー・バリー・ミー・ノット
(ジョン・ロマックス、アラン・ロマックス、ロイ・ロジャース、ティム・スペンサー)
カウボーイのフォークソングです。淡々とスローテンポで歌います。
内容は私を孤独な草原に埋めないでというものです。
8, Bird on the Wire バード・オン・ザ・ワイアー
(レナード・コーエン)
カナダのミュージシャン、レナード・コーエンの代表作でオリジナルは1968年にリリースされています。
9, Tennessee Stud テネシー・スタッド
(ジミー・ドリフトウッド)
ジミー・ドリフトウッドが1959年に発表したカントリー・スタンダードです。
10, Down There by the Train ダウン・ゼア・バイ・ザ・トレイン
(トム・ウェイツ)
酔いどれ、ハスキーヴォイスで有名なトム・ウェイツ作です。
電車の側で会いましょう、電車がゆっくりと走るあの場所で会いましょう。という歌詞はアメリカ人ならではの感覚でしょう。
11, Redemption レデンプション
(ジョニー・キャッシュ)
私はキリスト教でもないので詳細は分かりませんが、ゴスペルで聖書の1節を歌ったものだと思われます。
12, Like a Soldier ライク・ア・ソルジャー
(ジョニー・キャッシュ)
戦争を乗り越える兵士に例えて歌っています。
毎日が前日より良くなっているという前向きな歌です。
13, The Man Who Couldn’t Cry ザ・マン・フー・クドゥント・クライ
(ラウドン・ウエインライト3世)
知りませんでしたが作者のラウドン・ウエインライト3世はアメリカのSSW(シンガー・ソングライター)兼俳優だそうです。
裏切り、虐待、貧困、暴力、刑務所などのあらゆる悲惨な環境が語られます。
それでも泣くことができなかった男が最後に無神経で狂ったものたちのいる場所(精神病院みたいなところ?)に行きます。
そこではたくさんの友達ができてチェスをして過ごしました。
そして驚くことに彼は雨が降るたびに泣くようになります。
ある時40日間雨が降り続け、彼はずっと泣いて41日目に脱水症状で亡くなりました。
そして天国で今までの苦難を一つづつ回収していく、という内容です。
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