こちらのジャケットの方が一般的かもしれません。
でもやっぱり「猫背の横顔」の方がドルフィーらしい味わいがあり好きです。
エリック・ドルフィーはジャズ界においても一際変わった、個性的な存在です。
1960年4月1日に「アウトワード・バウンド」でデビューしました。
生前のラスト・アルバムは1963年7月の「カンバセーションズ」という実際には4年ほどしか活動していないのです。
にも関わらず音楽界に多大なる影響を残したミュージシャン、それがエリック・ドルフィーです。
しかもジョン・コルトレーンやチャールズ・ミンガスに必要とされていました。
そういうジャズにおいては貴重で重要な存在なのですが、にも関わらず一般的な知名度はそれほど高くありません。
ドルフィーの評価は逆に最近の方が高くなっている感じもしています。
自分からウェブで発信できる時代になると、世界中のドルフィーファンからの評論が多くなりました。
時代に左右されない個性、感性の証明です。
エリック・ドルフィーの音楽の世界は独特です。
一聴するとフリーキーな音楽、フリージャズみたいに聞こえますが、実はそうではありません。
ドルフィーの場合、フリー・ジャズという文脈ではほとんど語られませんし、聴いてみると音世界がフリージャズとは違っています。
ちょっと脇道に逸れますが私もフリージャズの系統としてドルフィーを捉えていたので長い間未知のミュージシャンでした。
フリージャズの定義とは時代によって異なっていきます。
当初、ジャズ界にオーネット・コールマンが現れたときに言われていたのが「モダン・ジャズ理論の束縛位からの解放」みたいなことを意味していました。
ここでちょっと自分語りをさせていただきます。
若い頃にジャズを聴き始めて手当たり次第に吸収して行ってた頃、よし今度はフリー・ジャズを聴いてみよう、そこには今までになかった感動があるかもしれない、と有名なフリー・ジャズ関連のアルバムをかじる程度に聞いた時期がありました。
中でもよく聴いたのがオーネット・コールマンとかアーチー・シェップとかです。
特にアーチー・シェップの「ワン・フォー・ザ・トレーン」というジョン・コルトレーンの死の3ヶ月後のライブアルバムに惹かれました。
会場はドイツのドナウエッシンゲン音楽祭、LPレコードはA面「ワン・フォー・ザ・トレーン・パート1」、B面は「ワン・フォー・ザ・トレーン・パート2」というなかなかシュールな構成です。
サウンドというと、後期コルトレーンが乗り移ったような激しくフリーキーな演奏が続きます。
そしてB面の終盤で突然「Shadow of Your Smile=いそしぎ」のメロディが突然シェップのテナーサックスから出てきます。感動的です。
しかしある日気づいてしまいました。そこにいるのはこのアルバムが好きだと言いながらも、「いそしぎ」が出てくる瞬間をひたすら耐えて待っている自分なのです。
いやいやこれではアーチー・シェップ、およびフリージャズが好きとは言えないでしょ。
というわけでなんだかんだ言っても私にはフリージャズの世界は合わないとわかった瞬間でした。
そういう私は勝手にエリック・ドルフィーはフリー・ジャズに近い存在だと勝手に思っていました。
ブルーズ、R&B、ソウル、ファンクなどブラックミュージックの香りはなく、その手の音楽が好きな私には非常にとっつきづらいものでした。
でもなぜか時々聞いていたものです。
不思議なことですが例えれば・・・まあこういう感じですな。
若い頃、会社員時代に残業しながら1ヶ月に一度くらい誰となく言い出すことがありました。
「腹減ったねえ、またあのまずいラーメンでも食べにいこうぜ」
「えっ本当に食いたいか?アレ」
「いやあれでも辛子ミソいっぱい入れれば結構イケるよ」
「あそこであのラーメン食べた後は結構な確率でおなか壊すんだよねえ」
「今日は金曜日だから壊しても大丈夫」
などと言いながら数人で時々食べに行っていたものです。
(すいません、こういう感覚はほとんどの人は理解不能かと思われます)
私にとってドルフィーはそういう存在だったのかもしれません。
(エリック・ドルフィー様、誠に申し訳ございません)
そのラーメンと違うのはエリック・ドルフィー様の場合、雑味がなくてものすごく純化されているのにやたらと深い味わいがあることです。
この味は他のミュージシャンからは感じられないものです。
そして本作は公式にリリースされたエリック・ドルフィーのタイトルの如くラストアルバムです。
1965年初頭にライムライト・レコードからリリースされました。
この頃はドルフィーはフランスに住んでいました。
ご当地のピアノトリオ、ミーシャ・メンゲルベルク・トリオと共演したライブです。
ライブといっても観客はレコード会社の関係者やスタジオのスタッフなどの招待された人だけだったそうです。
ドルフィーはデビュー以来、時間が経つほどドルフィーらしく純化されていきます。
なのでここでは一番ピュアなエリック・ドルフィーの「完成形」、いや違った「最終形」を聴くことができます。
(個人の感想です)
最後の曲、「ミス・アン」の後にオランダのラジオ局のミヒール・デ・ロイテルのインタビューの一部が入っています。
そこでエリック・ドルフィーの肉声が聞こえます。
“When you hear music after it’s over, it’s gone in the air, you can never capture it again”
「音楽を聴くと、それが終わると空気中に消えてしまい、2度と捉えることはできない」
死後しばらくすると、実はこの1964年の2月のレコーディングがラストではなく、実はこの後6月にもドナルド・バードなどと共演したものがあるんだぜ、とばかりに1987年に「ナイーマ」というアルバムがリリースされました。
ドルフィー最後の深化、純化が確認できるのかもしれませんが、なんというハイエナ気質のロマンの無い話でございましょうか。
頼むから「音楽が終わると空気中に消えてしまい、2度と捉えることはできない」で終わらせてあげて!
アルバム「ラスト・デイト」のご紹介です。
演奏
エリック・ドルフィー バス・クラリネット、フルート、アルトサックス
ミーシャ・メンゲルベルク ピアノ
ジャック・ショルズ コントラバス
ハン・ベニンク ドラムス
曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。
1, Epistrophy エピストロフィー
巨匠、セロニアス・モンクの作品です。ドルフィーはバスクラリネットで演奏します。
普段聴くジャズといえばこの音域ではテナーサックスですので、バスクラの音はセロニアス・モンクの曲調と相まってちょっと趣が違う世界になっています。
ピアノのミーシャ・メンゲルベルクも攻めたソロをとっています。
ベースソロが普通すぎる、安定した演奏ゆえ、突然入ってくるドルフィーが引き立ちます。
(すごくポジティブな見方です)
後半ドラムソロもあり次第にリズムが熱を帯びていきます。
2, South Street Exit サウス・ストリート・イグジット
エリック・ドルフィーの作品です。この曲ではフルートを演奏します。
ジャズにフルートはねえ、と思っていたのですが後半の短いドラムソロの後に出てくるフルートのフレーズは素晴らしいと気づきました。
3, The Madrig Speaks, the Panther Walks (Mandrake) ザ・マドリグ・スピークス・ザ・パンサー・ウォークス(マンドレイク)
これもドルフィーの作です。ここではアルトサックスを演奏します。
1分40秒を過ぎたところからリズムが変化して違う世界に持っていかれるのがなんとも快感です。
うねりながら何度もそうなります。終わり方も突然です。
4, Hypochristmutreefuzz ヒポクリストマトリーファズ
メンゲルベルクの作品です。ドルフィーはバスクラリネットです。
ここでは軽快にホーンライクに演奏しています。
5, You Don’t Know What Love Is ユー・ドント・ノウ・ホワッツ・ラブ・イズ
アメリカのソングライター、コンポーザーであるドン.レイとジーン・ヴィンセント・デ・ポールの作品です。
ドルフィーはフルートで演奏します。このアルバムの1番の聴きどころです。
ブルーズ的な感覚は排除され、クラシックの影響もそこはかとなく感じられます。
そういう感情を排した、純化した音の世界があります。
ジョン・コルトレーンやソニー・ロリンズとは全く違うドルフィーだけの「愛とは何かご存知ない」世界が感じられます。
6, Miss Ann ミス・アン
ラストはエリック・ドルフィーのオリジナル曲でアルトサックスを演奏しています。
普通に聞けばそうでも無いのですが前曲の流れで聴くとアグレッシブに感じます。
ジャズらしい演奏です。
最後、ドラムのブレイクの後にあの名言が出てきます。
刮目せよ。いや刮聴せよ、36歳のドルフィー最後の言葉を。と言いたくなるアルバムです。
コメント