「これがエレクトリック・マイルス開花直前の傑作」In a Silent Way : Miles Davis / イン・ア・サイレント・ウェイ : マイルス・デイヴィス

 マイルス・デイヴィスの1969年7月30日にリリースされたアルバム「イン・ア・サイレント・ウェイ」です。
このアルバムはジャズのみならずロック方面からも絶賛されています。(ロックと言ってもいろいろですが)
リリース当時はまさに革新的でした。そして50年以上経過した今でも評価は落ちることはありません。いつ聴いても古臭く感じることもなく、比べるものもないという稀有な音楽となっています。

翌年1970年の3月30日にはエレクトリック・マイルスの一つの到達点、というか区切りと認識される「ビッチズ・ブリュー」がリリースされます。

すでに「ビッチズ・ブリュー」のセッションは「イン・ア・サイレント・ウェイ」のリリース前の1969年8月19日から21日にかけてすでに行われていました。

それにしては「イン・ア・サイレント・ウェイ」と「ビッチズ・ブリュー」には音楽的に相当な距離があるように感じます。この時期いかに目まぐるしく変化していったのかが伺えます。

マイルスはここから音楽を型で演奏することをやめました。導入、テーマ、ソロ、またテーマに戻るというような今までの音楽の表現をやめて、全く別の表現方法を模索していきます。
その前の「キリマンジャロの娘」にはまだかろうじて型が残っていたように感じます。
ここにきてマイルスは改めて今までの音楽はもうやめた!という宣言です。

訳して「静かなる方法」はその名の通り音像が静かに広がっていき、いろいろと頭の中で想像が深まる傑作です。
でも、マイルスのカタログの中でも流れに属さないものとして屹立しているように感じられます。

そしてここからの「ビッチズ・ブリュー」へはまた別の感触がありました。
ドラムスが2人体制になったとかのバンド構成の変化もありますが、なんというか肌触りが違って今作との繋がり、関連性は希薄です。

いずれにしてもこの時期の作品は全て音楽的にとてつもなく深く素晴らしいもので、繰り返し聞くほどに新しい発見があります。
そして、それゆえに後に引き継がれない独特な世界を持っています。

サウンドにおいてはまず一人目の重要人物、ウィーン生まれのオーストリア人、ジョー・ザヴィヌルの功績があります。
ザヴィヌルはこの後1970年にリリースした「Zavinul」というアルバムに「イン・ア・サイレント・ウェイ」を再演しています。というか元々はザヴィヌルの作品だったようです。

マイルスはザヴィヌルに触発されてイメージを広げていき、このアルバムのB面を作り上げたと考えるほうが合点が行きます。

以前にザヴィヌルはファンキー・ジャズの傑作「マーシー・マーシー・マーシー」というまさにキャノンボールにぴったりな曲を書き、一緒に演奏していました。
実はキャノンボール・アダレイもこの曲「イン・ア・サイレント・ウェイ」を使いたがったそうですが、ザヴィヌルはマイルスを選びました。

ザヴィヌルはこの後、同じこの時期のマイルスバンドの同僚、ウェイン・ショーターと組んで「ウェザー・リポート」を結成し、ジャコ・パストリアスという希代の天才を得てフュージョン界を牽引します。

破滅型天才のジャコ・パストリアスは1987年に35歳で亡くなってしまい、ジョー・ザヴィヌルは2007年9月11日、75歳で亡くなりました。
その盟友だったウェイン.ショーターも今年2023年3月2日に89歳で亡くなられました。

(アルバムジャケットです。囚人みたいです。もうちょっとかっこいいいポートレイトにすればよかったのに、と思うのは私だけでしょうか?。もっとも往年は結構オシャレな人でした。)

さらにもう一人、今後の方針を決定づけた重要人物がいます。
コロンビア・レコードのテオ・マセロという1925年10月30日生まれのニューヨーカーです。
名前からするとイタリア系だと思われます。ジュリアード音楽院で作曲を学び、学士号と修士号を獲得しています。

彼の肩書きはサックス奏者、作曲家、プロデューサーなのですが、残念ながらサックス演奏と作曲では後世に残るような名演と実績はありません。(あったらすみません。情報不足です)

しかしプロデューサーとしてはデイヴ・ブルーベックの「タイムアウト」チャールズ・ミンガスの「ミンガス・アー・ウム」、セロニアス・モンクの「モンクス・ドリーム」、「アンダーグラウンド」およびデューク・エリントンやカウント・ベイシー、ニューヨーク・フィルやロンドン・フィルなどのオーケストラ関係など錚々たるものです。
また映画ではサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」で有名な「卒業」のサウンドトラックも手掛けています。

マイルスに関してはコロンビア時代の「スケッチズ・オブ・スペイン」あたりから関わっていたようです。もちろん歴史的名作「カインド・オブ・ブルー」にも貢献しています。
が、ここにきて、混沌としていくエレクトリック・マイルス時代においては編集という才能で重要性を深めていきます。

編集というと、もちろん当時はアナログ機材しかありませんので全て手作業です。
編集ソフトのプロツールズとか容量次第のデジタル無制限マルチトラックなど存在していないため、録音テープを切った貼ったで繋いでいくのです。
トラック数も少なく、ダビングすれば必ず音質劣化を伴います。マスターテープの扱いは失敗が許されないなど今の時代にはない緊張感が伴ったことだろうと思われます。

「イン・ア・サイレント・ウェイ」もマイルスは聞いた時に今までの自分のセッションは編集によってこんなにも違う雰囲気になるものかと驚いたそうです。
この時代のマイルスのアルバム毎の肌触りに違いは、実はこの男によって巧妙に仕組まれたものだったのかもしれません。

マイルスの信頼は厚く、「ジャック・ジョンソン」に至っては手っ取り早くお金が欲しかったので、1,000ドルとテープの素材だけ渡して数日で編集させたという、なんともブラック企業みたいな話もあります。(本人が言ってました)

その後のフランク・ザッパのアルバム制作方法とか、サンプリングやヒップホップなどの音楽の進化を考えた場合、彼は編集やループ、サンプリングの先駆者として相当な重要人物です。

何より個人的に感じるのはコロンビアという会社を背負って、セロニアス・モンクやチャールズ・ミンガス、マイルス・デイヴィスなどの音楽界の強者と長期に渡りちゃんと付き合えたということです。

すごい人間性ですね。改めて尊敬いたします。

その天才プロデューサー、編集者は2008年2月19日、82歳で亡くなりました。

そういう背景なども感じながら鑑賞すると、このアルバムはさらに楽しめます。

アルバム「イン・ア・サイレント・ウェイ」のご紹介です。

演奏
マイルス・デイヴィス トランペット
ウェイン・ショーター ソプラノ・サックス
ジョー・ザヴィヌル オルガン
ジョン・マクラフリン ギター
ディヴ・ホランド ベース
トニー・ウィリアムス ドラムス
ハービー・ハンコック エレクトリック・ピアノ
チック・コリア エレクトリック・ピアノ

曲目
*参考として最後部にyoutube音源をリンクさせていただきます。


1,    Shhh / Peaceful シュー/ピースフル

ここでもマイルスのリズムに対する独特のこだわりが見えます。
開始からトニー・ウィリアムスの叩くシンバルレガートが続いていきますが、アルバムタイトル通りでやかましくは感じません。続いて浮遊感のあるキーボードが絡み、トランペット登場です。
トランペットは異様にゆっくりなマイナーメロディで入ってきます。なるほど、ここでドラムに合わせて同じリズムでトランペットを吹いていたら「マイルス」ではありません。

こういう独特の雰囲気で進んでいきます。


2,    In a Sirent Way / It’s About That Time イン・ア・サイレント・ウェイ/イッツ・アバウト・ザッツ・タイム

「In a Sirent Way」は情景が目に浮かぶような綺麗な時間です。伝統的な旋律も感じます。

「It’s About That Time」のトラックではB面(2曲目)8分をすぎたあたりからファンキーなベースラインが出てきます。めずらしく体でノレるリズムです。
思わずここで「おお、かっこいい」と思ってしまうところがすでにマイルスの術中です。

最後は「In a Sirent Way」に戻って終わります。

何度聞いても飽きのこない不思議な魅力を持つアルバムです。

Bitly
Bitly

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