デューク・エリントンは世界的に名高いデューク・エリントン楽団を率いてジャズの歴史を牽引し、ジャズに限らず全ての音楽界から賞賛されてきました。
そのサー・デュークの貴重なピアノトリオで1963年にリリースされた「マネー・ジャングル」のご紹介です。
メンバーは歴史的にみてもジャズの頂点に燦然と輝く偉人デューク・エリントン、ジャズ界の鬼才、怒れるベーシストチャールズ・ミンガス、そしてこの中では多分唯一の紳士にしてスイング、バップの時代を渡り歩いた歌うドラマー、マックス・ローチです。
この3人が1962年に集まってピアノトリオとしてアルバムを作りました。
ピアニストとしてのエリントンを楽しめます。
と、かくに興味をそそるアルバムなのですが個人的に昔からどうも納得いかない点がありました。
それはこのアルバムの音質です。
このアルバムには2種類のとんでもなさがあって他では味わえないものとなっています。
具体的には一つはとんでもない演奏で、もう一つがとんでもない音質です。
(といっても私以外の人にとっては特に問題ではないのかも知れませんが)
わたくし的には音質が正当な評価を邪魔しているとしか思えなかったのです。
「マネー・ジャングル」の音質とその変遷
私が最初にこのアルバムを手にしたのは1990年代です。
ピアノトリオ、エリントン、ミンガス、ローチという言葉に惑わされてCDを買いました。
オリジナルとは曲順が違って「Very Special」で始まるCDでした。
そして愕然としました。「ああ、音が・・・あまりに・・・酷すぎる」。
全体のバランスがおかしい、ピアノの音がでかい、しかも歪んでいる、これは聴いててつらい・・・などと演奏の評価以前に聞いていて辛いものがありました。
でも録音は1962年、すでにアコースティックジャズの録音としては技術的にも出来上がっている時期です。
そして素材はかの有名な巨匠デューク・エリントンなのです。
なのにこの音はあり得ないと思いました。
きっとデジタル化を機械的にやっただけの悪い側面が出ているんだろう。
そのうちリマスターでまともなのが出てくるに違いない、いやきっと出る、と思っていました。
そして2000年代になってまたCDを買ってみました。
リミックス、リマスターによって音についてはだいぶ良くはなりました。
エリントンのピアノ演奏のとんでもなさ、そこに真っ向勝負をかけるミンガスは感じられます。
でもこんなもんなのかなという思いはまだありました。
そこで中古のLPも買ってみました。
ただこれも元から廉価盤、ジャケットも薄っぺらいもので中古ですが300円くらいで手に入れたレコードです。
でもこっちの方がまだいいかという音でした。
音がまとまっていてアナログならではの良さはあります。
ただ頭の中では1960年代のジャズの音はこんなものではないだろうという思いがありました。
そして割と最近、2019年版の「Money Jungle The Complete]を手に入れました。ヨーロッパ盤です。
ジャケットも今までとは違います。
この辺で音質については打ち止めか。現代のリマスターでダメならもう無理かも。
せっかくのエリントンのピアノトリオなのに自分なりの評価はできないかも知れない。
などと勝手なことを思いながら聞いてみると、これはなかなかの音質です。
楽器の音がリアルになりました。
特にピアノがちゃんと空気感というか環境を感じる音になっています。
心なしか全体のバランスも良くなっているようにさえ感じます。
なんかやっと人に勧められる音になった感じです。
頭の中の音をピアノで出そうとするエリントン、同じ土俵で同じようなことをベースで容赦無く演ってしまうチャールズ・ミンガス、なんとかそこにもグルーブと歌心をドラムで入れようとするマックス・ローチ。
普通では感じられないなんともすごい世界線です。
心してお楽しみください。
断っておきますと、当初のLPレコードの音質はさておき、リミックス、リマスタリング音質の違いとはエンジニアの腕というよりハードウェア、ソフトウェアの進化によることが大きいような気がします。デジタルトランスファーの初期においては技術的な限界が大きかったのですから。
さて、ここからやっと内容について触れていきます。
エリントンの目的とはなんだったのでしょうか。
それを探るにはまずメンバーの人選から考えてみなければなりません。
器用で協調性の高い(と思われる)マックス・ローチはまず当然として、ベースになんで偏屈の塊のような扱いにくいチャールズ・ミンガスにしたのでしょうか。
才能は認めるけど友達にはしたくないタイプの人間です。(裏返しの愛情表現と受け取ってください)
などと昔は不思議に思っていましたが、最近ではググったりウィキったりすればいろんな情報が手に入ります。
つくづくいい時代になったものだと感謝してます。
それによるとマイルス・デイヴィスやクインシー・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリクスなどで有名なプロデューサーのアラン・ダグラスがキーとなります。
彼は1960年代の初頭にエリントンと仕事をしました。
その後、ニューヨークに移住したときにエリントンが突然尋ねてきてピアノ中心のアルバムを作ってみたいと提案したそうです。
ダグラスはベースにチャールズ・ミンガスを推薦しました。
そしてミンガスはマックス・ローチをドラマーにすることを条件にしたそうです。
ミンガスは以前、エリントンの楽団で演奏したことがありましたが、他のメンバーと喧嘩して楽団を解雇されています。
そういう二人を前にエリントンは「俺のことは貧乏人のバド・パウエルだと思ってくれ」と言ったらしいです。
ここでそういうセリフを額面通りに受け止めて安心してはいけません。
エリントンは長年にわたってジャズのビッグバンドというならず者集団をまとめてきたゴッドファーザーなのです。
例えばギャングやマフィアの親分が優しく語りかける時はたいていウラの意味があるのです。
もし二人が普通の人だったらこの優しい言葉にチビってしまったかも知れません。
噂によるとミンガスは横柄なようでいて実は肝っ玉が小さかったという逸話もあります。
でもここでは歴戦練磨の二人はそんなヤワなタマではありませんでした。
さらにエリントンは「自分の曲だけ演奏するのは嫌だ」と言ったらしいです。
これもちょっとは妥協して合わせてあげる気もあるよという、エリントンにしては最大限の社交辞令だったのかも知れません。(全て個人の偏見によるものです)
いよいよレコーディングの日がやってきました。
1962年9月17日、セッションは13時から開始です。
マックス・ローチはドラムセットをセッティングするために12時にやってきました。
やっぱりそういう人なんです。
会社員だっったら常に10分前行動を意識する人です。
それにひきかえミンガ・・・もういいか。
そしてその時、もうすでにエリントンも到着していて曲を書いていたそうです。そして全曲、エリントンの曲を演奏することになりました。
ほらやっぱり。
そしてミンガスとローチに演奏する曲についてのメモが渡されました。
それは基本的なメロディとハーモニーが描かれた「リードシート」と視覚イメージが描かれていました。
その一例として「頭を上げた蛇が通りを這い回っている。これらは芸術家を搾取してきたエージェントや人々だ。音楽に合わせてそれを演奏しなさい」と書いてあったそうです。
なるほどこういうことがきちんと理解できないとエリントンとの共演はできないのか。
なんて感動することでもありません。
きっとミンガスもローチも「はいはい、了解でーす」、「頭の良すぎる人の考えることはおいらには分かんねえや」くらいの感覚だったかもしれません。
逆にそれくらいのアバウトさがないと大物ジャズマンとは付き合えません。(個人の見解です)
実際、レコーディング中はミュージシャン同士の意見の衝突が絶えなかったそうです。
そしてミンガスがローチの演奏に文句をつけて、怒ってベースを持ってスタジオを出て行きました。
これもローチの演奏に、という説とエリントンがレコーディングでミンガスの曲を一切使用しなかったから、ということも言われています。
こういう大人気ないことが平気でできるのも音楽の世界だけです。
一流のミュージシャンだけに許される行為です。
ナミの、凡人としか言えない私からするとそこにシビれる、憧れるというところでもあります。
してその対応は、
その一 アラン・ダグラス説
エリントンが追いかけて外の通りで追いついて、戻るように説得した。
その二 エリントン談
私はエレベーター内で戻るように説得した。
どちらでもいいのですがきっと「おめえ、ここで俺の顔に泥を塗っといて、明日から五体満足で生きていけると思ってんじゃねえよな」という説得だったような気もします。(個人の感想です)
このトリオではユナイテッド・アーティストと2枚のアルバムリリースの契約をしていました。
でも再び一緒にレコーディングするように説得することはできなかったとマーサー・エリントン(デューク・エリントンの息子、後継者)は答えています。
はい胸中お察しします。
ということは本来の目的とは違って、エリントンが望んではいなかった方向のアルバムかも知れません。
でもリリース許可を出したということはそれなりの成果は感じていたのだろうと思います。
ジャズに限らずの話ではありますが、こういう緊張状態の中でこそ、普通では表現し得ないことが偶然記録されるということがままあります。
そこがこのアルバムの聞きどころです。
綺麗なメロディとハーモニー、調和と安定、心の平穏と解放、などを期待してはいけません。
このアルバムは常に「そう来やがったか、じゃあこう返してやるぜ。この野郎」というガチンコ・ストロングスタイルです。
相手の得意技にあえて付き合うようなこともありません。
こういうのってプレイヤー目線だととっても実に参考になり、アイデアの宝庫となります。
ジャズ鑑賞の視点だとやっぱり真剣勝負の緊張感ですね。
きっとここでは、というか巨匠デューク・エリントンにオスカー・ピーターソンやキース・ジャレットを求めてはいけないのです。
アルバム「マネー・ジャングル・ザ・コンプリート」のご紹介です。
演奏
デューク・エリントン ピアノ
チャールズ・ミンガス コントラバス
マックス・ローチ ドラムス
ボーナス・トラック(1953年12月3日 ニューヨーク)
デューク・エリントン ピアノ
ウエンディ・マーシャル ベース
デイヴ・ブラック ドラムス
プロダクション
1963年LP
アラン・ダグラス プロデュース
ビル・シュワルタウ エンジニアリング
フランク・ガウナ フォト、デザイン
ジョージ・ウエイン ライナー・ノーツ
1987年CD
マイケル・カスクーナ リイシュー・プロダクション
マルコム・アディ リミックス・エンジニア
2002年CD
マイケル・カスクーナ リイシュー・プロダクション
ロン・マクマスター リミックス / リマスタリング・エンジニア
曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。(1953年12月レコーディングのトラック16,17,18はありません)
1, Money Jungle マネー・ジャングル
いきなり全力で攻めてきます。
ミンガスがベースの高い音を弾いてドラムが入り突然めっちゃ高いレベルで「ぎゃーん」とピアノが入ってきます。
ミンガスは意地になって低音を弾かずベースの役割をしません。
ピアノも変なフレーズ満載です。
セロニアス・モンクともまた違う視点での凄さなのです。
2, Fleurette Africaine アフリカの花
シンプルなフレーズがなんとも奥ゆかしく味わいがります。
ドラムというかパーカッションがバラード調になるのを拒否しています。
3, Very Special ヴェリー・スペシャル
最初に買った音源はこの曲から始まりました。
確かにあの音質では「マネー・ジャングル」から入るとキツいものがあります。
ピアノが歪んでいたし。
この曲はこのアルバムにあっては割と普通に感じられます。
よく聴くとピアノのシングルトーンのフレーズの後のコードの強弱とかに表情、深みを感じます。
終わり方も唐突です。
4, Warm Valley ウォーム・ヴァレー
ものすごく綺麗なバラードです。
個人的にはこういうのがエリントンらしいと思ったりもします。
5, Wig Wise ウィグ・ワイズ
ハードバップマナーの曲です。なぜか安心できます。
ミンガスもローチも体に染み付いている曲調です。
エリントンのピアノが対位したフレーズを連発します。
6, Caravan キャラヴァン
エリントンを代表するスタンダードの一つです。
3人ともすごく深い次元で演奏をしています。
やっぱりすごい、とんでもないアルバムだと思わせてくれます。
7, Solitude ソリチュード
ピアノソロで始まります。
エリントンならではの音の間と強弱とメロディを楽しむ曲です。
3分20秒を過ぎるとベースとドラムが加わりますがここでは基本に徹してエリントンの邪魔をしないように気をつけています。
8, Switch Blade スウィッチ・ブレイド
ベースソロで始まりまたすごいピアノのフレーズが入ってきます。
エリントン流のブルーズです。聞き応えがあります。
最後はベースソロでフェイドアウトしていきます。
9, A Little Max (Parfait) ア・リトル・マックス
エキゾチックな感じもする面白いアイデア満載の曲です。
タイトルはマックス・ローチのことなんでしょうか。「マックス・ローチはまだガキだぜ」ということならすごい話です。
10, REM Blues レム・ブルーズ
安定のブルーズらしいブルーズです。
途中でエリントンがミンガスにちょっかい出したり、わざとリズムを崩してローチがどうするか見たりしているようです。
11, Backward Country Boy Blues バックワード・カントリー・ボーイ・ブルーズ
歌心溢れるブルーズです。素晴らしい演奏ですが3人からしてみれば余裕です。
12, Solitude (alt tk) ソリチュード
また違った表情の曲になっています。
正式なバージョンの方が音をシンプルにしてスローに入ってくるのでより練られており、こちらの方が初期のバージョンだと思います。
13, Switch Blade (alt tk) スウィッチ・ブレイド
正式なバージョンよりより普通のアレンジかもしれませんが、じっくりと音に向かい合っているような曲調です。
この曲に関してはこちらのバージョンの方が個人的には好きです。
14, A Little Max (Parfait) (alt tk) ア・リトル・マックス
正式バージョンの方が一体感が感じられるかな。
15, REM Blues (alt tk) レム・ブルーズ
こちらの方がベースがはっちゃけてますが、もう好みの問題です。
16, Kinda Dukish カインダ・デューキッシュ
ここから3曲は1953年12月の録音となります。
ベースはウエンディ・マーシャル、ドラムはデイヴ・ブラックです。
当然モノラルであると同時に音楽的にもまとまっています。
タイトルのDukishとはデューク・エリントン風ということです。
エリントンくらいになるとシャーロック・ホームズマニアのことをシャーロキアンと言うのと同じようにエリントニアンという熱狂的マニアも数多く存在します。
そういえば1958年にエリントン楽団で活躍していたアルト・サックス奏者のジョニー・ホッジズが「Not So Dukish = さほど公爵らしくない」という逆説的タイトルのアルバムをリリースしています。
17, Montevideo モンテヴィデオ
タイトルは南米ウルグアイの首都です。
この曲にはエキゾチックとファンキーがあります。
18, December Blue デッセンバー・ブルー
多分即興でブルーズを演奏して、レコーディングした月をタイトルにしただけだと思います。
にしてはピアノの歌心あるフレーズがまたすごいものです。
コメント