ジョージ・ハリソン名義で1971年にリリースされたオールスターによるチャリティライブのアルバムです。
チャリティというとなんか小銭を募金するみたいなスケールの小さいイメージになってしまいますが(私だけか?)このイベントはその後の音楽界に大きな影響を与えるものでした。
まさにロックの遺産と言うべきこの催しは「バングラデシュ難民級財コンサート」として1971年8月1日にニューヨークのマディソン・スクエアー・ガーデンで行われ、同年12月20日にアップル・レコードから全世界へ3枚組LPとしてリリースされました。
1980年代になってUSA・フォー・アフリカなどのチャリティ・イベントなどが行われて以降、今ではミュージシャン主体によるジャンルを超えたチャリティ・コンサートも珍しくはありません。
しかしそれ以前はレコード会社の垣根を超えてミュージシャンが集まってチャリティ活動を行うこと自体珍しいことでした。
発案者のジョージ・ハリソンを中心にこれだけの大物ミュージシャンが一堂に介して「人道主義による慈善活動」に参加するのは初めてと言っていい出来事だったのです。
重要なので趣旨、背景を説明しておきます。
1971年のバングラデシュ独立戦争中、東パキスタンがバングラデシュの独立国家となるべく活動する中で政治的、軍事的混乱とそれに伴う残虐行為により大規模な避難問題が発生、約1000万人の避難民が隣国インドへ流入しました。
東パキスタンは1970年にポーラ・サイクロンという記録的な熱帯低気圧により壊滅的なダメージを受けており、1971年には集中豪雨と洪水に見舞われていました。
ポーラ・サイクロンで現地のベンガル人約50万人が死亡し、その後のパキスタン軍によるサーチライト作戦と名付けられた虐殺で少なく見積もっても25万人の民間人が亡くなったとされています。さらにインドのカルカッタへ避難した難民も飢餓やコレラの流行により大変な状況でした。
ベンガル人のミュージシャン、ラヴィ・シャンカールはこの祖国の状況をジョージ・ハリソンに相談し、インド音楽や哲学に影響を受けていたジョージはコンサートを企画し援助活動を開始します。
しかし何せ全てが初めての試みなのでトラブル続きでジョージは相当参っていたと言われています。
割と当てにしていた、目玉の一つだったクラプトンは当時重度の薬物依存でリハビリを開始した直後です。
重度ということではいきなり薬物を断つと危険な状態でもあり、仕入れ先を確保していなくてはならなかったようです。
またディランは参加するとは言ったもののどこまで本気かわからない状態だったとか。
念の為サブのギタリストとしてジェシー・エド・デイヴィスを確保しました。
レオン・ラッセルやビリー・プレストン、ベースにクラウス・フォアマン、ドラムにジム・ケルトナーという気心が知れて機転のきくアメリカのミュージシャンを集めてバンドを作りました。
結果これがスワンプロック感ありありのサウンドとなって全体のサウンドカラーを決定づけます。
ビートルズで一番歳の離れていて多分一番いい関係だったリンゴ・スターも参加してくれました。
この人は天性の人間関係の調整能力を持っているので、関わった全員が安心する存在です。
ビートルズが他の幾多のバンドのように喧嘩別れしていがみ合うような関係にならなかったのも実はリンゴの存在が大きかったような気がします。
などとその昔、リンゴ・スター・オールスター・バンドを見に行った時に思ったものです。
なんやかんやで難航したコンサートも無事開催されました。
午後2時30分と夜8時の計2回行われ、合計2万人を集客しユニセフが運営するバングラデシュ救援金として25万ドル集めることができました。
ラヴィ・シャンカールは後になって大成功のイベントだったとして「1日で世界中がバングラデシュの名前を知りました。素晴らしい出来事でした」と語っています。
ただしこの後が大変だったようです。
ジョージをはじめミュージシャン側としてはアルバムや映画、ビデオの売り上げもバングラデシュ救援金にしたかったのですが、レコード会社等に出演したミュージシャンの権利を譲渡してもらうことが難しく、アルバムと映画で収益した数百万ドルは何年もの間IRSの税金エスクロー口座に縛られることになります。
簡単に言えばアメリカの歳入庁によって凍結されたということです。
結果的には人道支援プロジェクトとして認められ、この経験によって後のライブ・エイドやUSA・フォー・アフリカなどの運営に生かされるようになります。
1985年までにはアルバムと映画の売り上げ1200万ドルがバングラデシュに送られました。
現在ライブアルバムと映像関係の収益はユニセフのためのジョージ・ハリソン基金に寄付され続けています。
そして2024年の現在、バングラデシュは平和になったかというと残念ながら今でも不安定な社会情勢です。民主化になったり政変が起きたりで2024年の今でも一向に落ち着く様子が見られません。
元々、バングラデシュという国名は「ベンガル人の土地」という意味だそうです。
肥沃な大地は穀物などの生産に適しており「黄金のベンガル」と呼ばれていました。
そういうことから古くは文明が発達した地域だったのですが、ヒンドゥー教徒イスラム教の対立やヨーロッパの植民地政策などに翻弄され最貧国となってしまいました。
きっといい指導者がいて政治さえうまく行っていればそうはなっていなかったのだろうと思います。
アジアの国々の歴史を見るといつも日本と比較して考えてしまうのですが、日本は海で守られ常に隣国と自由に行き来できるという環境でないことが幸いして、よりオリジナルな文化を持って発展してきました。
そして何より民主主義をうまく解釈して受け入れたために欧米と同じに発展できました。
アジアやアラブの国は過酷な生活環境や宗教的な価値観によって簡単には受け入れられないことも多いようです。
ある種のイスラム教や共産主義を見ていると世界中が同一の価値観を持つのはまだまだ遠い話のような気がします。
などと私感ですが、アルバムを聴きながらこういう機会なので、考えてみるのもいいのかもなあと。
アルバムジャケットのデザインはLP時代から長らく「赤ちゃんとお皿」だったのですが2000年代に入ってからから「オレンジバックに白いジャケットのジョージ・ハリソン」に変わってしまいました。
やはり内容を表したオリジナルジャケットには敵わないと思います。
当のジョージ・ハリソンはこれを望んでいたのでしょうか。(多分違うと思います)
中学生の頃レコード屋さんでボックス仕様のジャケットをずっと眺めていました。
ジャケットを見て驚き、帯を見て驚き、金額を見てさらに驚き同じく3枚組の「オール・シングス・マスト・パス」同様「いつか買えるようになりたい」と思ったものでした。
アルバム「バングラデシュ難民救済コンサート」のご紹介です。
CDは中古しか確認できません。
DVDもなぜか現在高値です。
演奏
ジョージ・ハリソン ヴォーカル、エレクトリックギター、アコースティックギター、バックヴォーカル
ラヴィ・シャンカール シタール
ボブ・ディラン ヴォーカル、アコースティックギター、ハーモニカ
レオン・ラッセル ピアノ、ヴォーカル、ベース、バックヴォーカル
リンゴ・スター ドラムス、バックヴォーカル、タンバリン
ビリー・プレストン ハモンドオルガン、ヴォーカル
エリック・クラプトン エレクトリックギター
アリ・アクバル・カーン サロッド
アッラ・ラカ タブラ
カマラ・チャクラヴァルディ タンブーラ
バンド
ジェシー・エド・デイヴィス エレクトリックギター
クラウス・フォアマン ベース
ジム・ケルトナー ドラムス
ピート・ハム アコースティックギター
トム・エヴァンス 12アコースティックギター
ジョーイ・モランド アコースティックギター
マイク・ギビンズ タンバリン、マラカス
ドン・プレストン エレクトリックギター、ヴォーカル(TR.9,17)
カール・レイドル ベース(Tr.9)
*ハリウッド・ホーンズ
ジム・ホーン サックス、ホーンアレンジメント
チャック・フィンドレー トランペット
ジャッキー・ケルソー サックス
アラン・ボイトラー サックス
ルー・マクリアリー トロンボーン
オリー・ミッチェル トランペット
*ソウル・クワイア(バックヴォーカル、パーカッション)
クラウディア・レニアー
ジョー・グリーン
ジーニー・グリーン
マーリン・グリーン
ドロレス・ホール
ドン・ニックス
ドン・プレストン
曲目
参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。
1, George Harrison / Ravi Shankar Introduction イントロダクション
このイベントの重要な部分で、長めの解説ですが必要なところです。
2, Bangla Dhun バングラ・デューン
(Ravi Shankar)
民族音楽でヒンドゥー教に由来するラーガという音楽です。
今の時代になると割とワールドミュージックとして自然に、新鮮な気持ちで聞けます。
異文化を感じる時間です。
ジョージ・ハリソンも一時ラーガに凝っていてビートルズのアルバム「サージャンと・ペパーズ」などで披露しています。
3, Wah-Wah ワー・ワー
(George Harrison)
このコンサートではジョージ・ハリソンは直近のアルバム「オール・シングス・マスト・パス」かビートルズのラストアルバム「アビーロード」からの曲を演奏しています。
タイトルの「ワー・ワー」とはシンプルでない雑多の、ごちゃごちゃしたものという意味だと思われます。
この時期のジョージは(と言ってもずっとですが)東洋の精神哲学みたいなものに惹かれていて「個人が他の人を直そうとするのではなく、自分の欠点に対処することに集中すれば、全ての人間の苦しみを回避できる」と信じていたそうです。
4, My Sweet Lord マイ・スウィート・ロード
(George Harrison)
ジョージのソロになってからの大ヒット曲です。
盗作と訴訟もされており、ジョージは無意識のうちに同じメロディを使ったと認めています。
個人的に思うのはミュージシャンがある時、あるメロディが閃いたり浮かんだりしても、それは今までの経験の中から過去に聞いたことのあるメロディを無意識に思い出したものかもしれないということです。
ジョージの性格を考えれば売れるために悪意を持って真似したなんてこととは考えられません。
ここの演奏では多分打ち合わせ不足のせいでしょうが、ギター数台でアコースティックに始まって構成通りスライドギターは入ってきますが、ベースとドラムスのリズムセクションがいつ入っていくか迷っているように感じます。
映像を見ると1分45秒を過ぎたあたりでジョージが「どしたの?」という感じで後ろを振り返って、ベースとドラムが入ってきます。(もしかしたらここから入れ、かもしれませんが不自然です)
ベースの入り方がシンプルながらセンスあるなあと思います。
通常のライブアルバムだと違和感のないように後で音を被せたりするのですが、ここではドキュメントを優先しているのでしょう。
5, Awaiting on You All アウエイティング・オン・ユー
(George Harrison)
内容はジョージ・ハリソン版の「イマジン」といったところでしょうか。
曲調はある意味複雑でなぜか後期ビートルズ的な雰囲気を感じます。
6, That’s the Way God Planned It ザッツ・ザ・ウェイ・ゴッド・プランド・イット
(Billy Preston)
ゴスペルちっくなオルガンのイントロと共にソウルフルなビリー・プレストンの歌が始まります。
良き1970年代の時代を感じさせます。
最後は大盛り上がりで大団円となります。
7, It Don’t Come Easy 明日への誓い
(Richard Starkey)
リンゴ・スターの登場です。曲調だけをみるとこの時代にしては先を言ってる感じなのです。
8, Beware of Darkness ビウェア・オブ・ダークネス
(George Harrison)
ジョージ・ハリソンらしいしっとりした綺麗な曲です。
歌うスライドギターもいい感じです。
目的を持ってそれ以外のことに惑わされるなという内容です。
9, Band Introduction バンド・イントロダクション
10, While My Guitar Gentry Weeps ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス
(George Harrison)
ここでは誰もがクラプトンのギタープレイに期待するところですが、体調も精神的にも最悪の状態です。音もそういうふうにしか聞こえません。
みなさん察して暖かい目で見守っています。
ジェシー・エド・デイヴィスもサポートします。
最後のジョージの「サンキュー、サンキュー」が「ありがとう、もういいよ」って言っているようです。
11, Medley : JUmpin’ Jack Flash / Young Blood メドレー : ジャンピン・ジャック・フラッシュ / ヤング・ブラッド
(Mick Jaggar, Keith Rrichard / Jelly Leiber, Mike Stoller, Doc Pomus)
レオン・ラッセルが頑張ってくれます。
この時期の彼のツアーでもハイライトとなっていたメドレーだそうです。
観客にめちゃノリのいいお客さんがいて「ウォー」「イェイ、イエー」と良いかえしをしてくれます。
12, Here Comes the Sun ヒア・カムズ・ザ・サン
(George Harrison)
2本のギターによるアコースティック・セットで演奏されます。
名曲でしかも本人の歌となればすごい安定感です。
13, A Hard Rain’s A-Gonnna Fall 激しい雨が降る
(Bob Dylan)
ここからボブ・ディランのセットです。
まずはこのコンサートの趣旨にぴったりな楽曲です。
記憶に新しいところではノーベル賞授賞式の時にパティ・スミスが代理でこの曲を歌いました。
いつ聴いても泣きそうになる曲です。
ボブ・ディランについてはこの時期はカバー曲集「セルフ・ポートレイト」やオリジナルアルバム「ニュー・モーニング」をリリースした時期です。
「ニュー・モーニング」路線のディランにしては割とはっきりした声で歌う時期であり、ここでもあまり声を崩さず明快に歌っている印象があります。
またジョージとも曲「イフ・ノット・フォー・ユー」を共作したりしていました。
14, It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry 悲しみは果てなく
(Bob Dylan)
アルバム「追憶のハイウェイ61」に収録された有名な曲でブルーズの形式です。
直訳すると「笑うには時間が必要、泣くには電車が必要」と意味深なタイトルです。
15, Blowin’ in the Wind 風に吹かれて
(Bob Dylan)
ボブ・ディランを代表する曲の一つです。反戦歌と言われていますが、この詩のいいところは煽りとか具体的な事例を示さず、結論を提示せず、あえて曖昧にしていろんな意味にとれるところだと思います。
16, Mr. Tambourine Man ミスター・タンバリン・マン
(Bob Dylan)
これもディランを代表する曲の一つです。
大したことを歌っているわけでもないのにスピリチュアルな雰囲気も醸し出して、ものすごい世界観を感じます。
「ミスタータンバリンマン、歌を歌って」と言っていろんなこと(混沌、理不尽、無情)を語りかけますが、第4節の締めは「今日のことは明日まで忘れさせて」なのです。
17, Just Like a Woman 女の如く
(Bob Dylan)
アルバム「ブロンド・オン・ブロンド」に種録され、シングルカットされた曲です。
ここではオリジナルバージョンよりグッとテンポを落として歌い込みます。
歌詞については今の時代、フェミニストから総攻撃を受けそうな内容で笑ってしまいます。
18、Something サムシング
(George Harrison)
ジョージ・ハリソンを代表するビートルズの名曲です。
いかにもリンゴ・スターらしいドラムが聴けるので安定感があります。
この名曲はビートルズの中でも1、2を争うカバーの多さがあります。
19, Bangla Desh バングラデシュ
(George Harrison)
「友人が私のところへ来て、国が滅ぶ前に助けて欲しいと言った。」で始まります。
何の飾りもなく「助けてあげませんか」とバングラデシュの現状を歌にしています。
ここでは「風に吹かれて」と真逆の方法です。
スタジオ録音バージョンに比べてライブならではで2割くらい熱量が上がっています。
特定の事象を歌っているためメッセージ性が強いので時代を超えた名曲にはなりにくいのですが、普通のフォークソングとも違う、他では感じられない曲の強さがあります。
20, Love Minus Zero / No Limit ラヴ・マイナス・ゼロ / ノー・リミット
(Bob Dylan)
LPではありませんでしたがボーナストラックとして追加されました。
名作「ブリング・イット・オール・バック・ホーム」に収録されていた曲です。
ここではバックをシンプルにしてメロディの良さが際立っています。
ディランにしてはストレートな歌い方です。
21, Bangla Desh バングラデシュ
(George Harrison)
スタジオ録音バージョンです。
のちに「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」にもボーナストラックとして追加されました。
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