ウエス・モンゴメリーの代表作というだけではなく、モダンジャズ、ジャズ・ギターの名盤でもある本人名義のメジャーデビューアルバム「ザ・インクレディブル・ジャズ・ギター」のご紹介です。
ウエス・モンゴメリーには傑作と言われるアルバムも多く、ジャズの中でも最重要人物の一人です。
ウエスの出現以降のジャズシーンはモダンジャズからクロスオーバー、フュージョンの時代になり、とりわけギターの存在意義が変わり一躍花形楽器となったのでした。
ジョージ・ベンソン、リー・リトナー、ラリー・カールトン、パット・メセニーなど、みんな第2のウエス・モンゴメリーを目指すことになります。
多くのフォロワーを産み、ジャズギターの表現の幅を根本から変えてしまったその出発点となったのがこの「インクレディブル・ジャズ・ギター」です。
このアルバムを語るには彼の生い立ちとデビューまでの苦労を知らないといけません。
1923年3月6日にインディアナ州インディアナポリスで生まれました。
本名はジョン・レスリー・モンゴメリー、ウエスという名前はレスリーの子供時代の略称だそうです。
大家族だったようですが詳細は分かりません。
そしてまだ幼い頃に両親は離婚して父親に引き取られます。
後に兄のモンクはベーシストとなり、弟のバディはヴィブラフォーン、ピアノ奏者となってウエスも加わり「モンゴメリー・ブラザーズ」としてもアルバムを残しています。
ウェスが12歳の時、兄のモンクは高校を中退して働き始めウエスに4弦ギターをプレゼントしました。
ウエスはそれで練習していました。
本格的に6弦ギターを手に入れたのは19歳の時です。
4弦ギターの技巧は捨てて、全てを最初からやり直さなければならなかった、と後で語っています。
そうなったことについては次の体験からだと思われます。
19歳で結婚したウエスは妻とのダンスパーティで運命的な出来事に遭遇することになりました。
そこで聞いたレコードのチャーリー・クリスチャンは衝撃的で、心底魅了されました。
そこから一念発起して独学でギターを練習し始めます。
音楽教育など受けた事もなく、楽譜も読めなかったウエスはひたすらチャーリー・クリスチャンを聞いてコピーしたそうです。
最初は溶接工として働いていましたが20歳の頃には昼間は牛乳会社で働き、夜はインディアナポリスのクラブでチャーリー・クリスチャンをコピーした演奏をしていました。
有名な話があります。
寝る間も惜しんでギターの練習をしていたウエスですが、夜中に家でギターの練習をすると家族や近隣に迷惑がかかります。
そのためアタックの強い刺激的な音にならないようにピックや爪弾きではなく親指のはらで弾いていたそうです、
そうすることで柔らかい音で周りに迷惑をかけることはなかったと語っています。
この奏法がウエスの専売特許となるかの有名なオクターブ奏法に繋がります。
ジャズに初めてエレキギターを持ち込んだのはチャーリー・クリスチャンで、基本的に単音奏法でした。
そこからウエス・モンゴメリーはコード、単音、オクターブ奏法を織り交ぜた画期的なものに広げていきます。
それにスライド、ハンマリング・オン、プリング・オフなどの技巧を交えて表現の幅を格段に広げてジャズの世界でのギターの存在感を格段にアップさせることに成功しました。
そうしているうちにライオネル・ハンプトンの目に留まり、彼の楽団で2年間ほど活動しました。
1957年になるとモンゴメリー・ブラザーズとともに西海岸で活動したりしていましたが1950年代後半にはインディアナポリスに戻ります。
今度は妻と7人の子供を養うために昼間は溶接工として働き、夜は2つのクラブで朝まで演奏しました。
こういう不健康な生活は普通に考えてヤバイ状況なのですが、転機が訪れます。
ある時、クラブでの演奏中にキャノンボール・アダレイ(アルトサックス・プレイヤー)の目に止まりました。
キャノンボールはオリン・キープニュース(ジャズの世界では有名なプロデューサー)を説得してリバーサイド(ジャズの世界では有名なレーベル)と契約させることに成功します。
そこで第一弾としてリリースされたのが1960年リリースの本作「インクレディブル・ジャズ・ギター」です。
デビューアルバムのタイトルからして「驚異のジャズ・ギター」と鳴物入りでの登場ですが、即それに見合った評価がされるようになります。
それからリバーサイドで数々のジャズ・スタンダードとなるアルバムをレコーディングして、1964年ヴァーヴ・レコードに移ります。
ヴァーヴでも「ムーヴィン・ウエス」やウイントン・ケリー・トリオとのライブ.アルバム「スモーキン・アット・ザ・ハーフ・ノート」など評価の高いアルバムをリリースしていきました。
やっとのことでジャズ界でビッグネームになったウエス・モンゴメリーですが、ある日、悪魔に目をつけられてしまいます。
悪魔の名前は「クリード・テイラー」と言いました。(私が勝手に呼んでいるだけですが)
悪魔はジャズの大衆化を第一義としていました。
要は芸術性云々などより売れるものを作るということです。
そしてウエス・モンゴメリーはクロスロードでクリード・テイラーと契約してしまいます。
第一弾、かの有名な「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」をリリースしました。
このアルバムはビルボード・ジャズ・アルバム・チャートで1位、R&Bチャートで2位、ビルボード・ホット200でも13位まで上昇しました。(ジャケットデザインについては今の時代ありえねえ、と感じるものですな)
そして悪魔は自分のプロデュースしたアルバムは「CTI Records」というレーベル名でリリースしていきます。
「Creed Taylor Issue」の略だそうです。
ほうら、我の強さが垣間見えます。
実際のところ、CTIはジャズの歴史から見てフュージョンの先駆けとして時代を先導したとか、レコーディング音質が優れているなどの観点から評価する人も多いのです。
(それもそのはず、CTIのほとんどの録音エンジニアはかのルディ・ヴァン・ゲルダーでした)
クリード・テイラーはCTIによって一躍時代の寵児として名を残すことになります。
(私にとってはただの悪魔ですけど)
以降、悪魔はギターの神様ウエス・モンゴメリーにオーケストラをバックにポップスやスタンダードを弾くように仕向けました。
もちろんアドリブなんて余計なことは禁止しました。
もしウエスがマイルス・ディヴィスやキース・ジャレットみたいに推しが強くて、世界は自分のためにある、俺って最高、というくらいの自己中でナルシストなら良かったのですが、ギターの神様ウエスは自己犠牲の精神に溢れていました。
会社が儲かって仲間や家族も収入が増えて喜んでくれるなら、まあそれもいいか、と悪魔に自分を任せてしまったのです。
当時ウエス・モンゴメリーのジャズを応援してきたジャズファンやジャズミュージシャンたちは思いました。
「いやいやそういうのはポール・モーリアさんやレイモン・ルフェーブルさんにお任せしとけばいいんでねえの」
しかし悪魔の狙い通りCTIのウエスはイージー・リスニング・ジャズとして、また環境音楽としてもいろんなところでBGMに使える、などのことから世界中で売れまくりました。
悪魔と契約する直前、1965年のウイントン・ケリー・トリオとのハーフノートでのライブや同じく同年のパリのライブなどで嬉々としてジャズを演っているウエス・モンゴメリーが確認できます。
それらを聞くと以降のスタイルは本当に本人が望んでいたことなのかと考えてしまいます。
特に2017年、52年ぶりにリリースされたパリのライブはじっくりと慈しむように音楽を組み立てていく演奏には魅了されます。
1965年当時、リアルタイムでリリースされていたらすごいことになってそうです。
(以上は全て個人の感想です)
悪魔に取り憑かれたウエス・モンゴメリーは1968年6月15日、心不全により45歳で亡くなりました。
2017年に「インクレディブル・ジャズ・ギター」は「文化的、歴史的、または美的に重要な」ものとしてアメリカ議会図書館により国立録音登録簿に選ばれました。
と言われても “なんだそんなもん、聞いたことねえぞ ”という貴兄も多くいらっしゃるかと思います。
アメリカ議会図書館というのは1800年に設立されたアメリカでは最も古い連邦文化機関で合衆国著作権局を通じて著作権法を管轄しているところだそうです。
国立録音登録簿とは「文化的、歴史的、または美的に重要であり、米国の生活を伝えたり反映したりする」録音のリストで2000年の国立録音保存法によって設立されたそうです。
つまりアメリカが存続する限り国の財産として残されることになります。
でもそんなことを意識しながら聴く必要はありません。
1960年代ジャズの芳醇で美味しいところを感じていただければと思います。
ウエス・モンゴメリーの真の凄さとは、ジャズを捨ててイージーリスニングに走ったことなどを差し引いても、今なおグレート・ジャズ・ギタリストのトップに評価されています。
そしてクロスオーバー、フュージョンなどとジャズの歴史が変わってもウエス・モンゴメリーの評価は変わることなく、今なお若きジャズ・ギタリストの指標となり続けています。
そう考えればCTIのウエスから入るのもアリなのか?
アルバム「ザ・インクレディブル・ジャズ・ギター」のご紹介です。
演奏
ウエス・モンゴメリー - エレクトリック・ギター
トミー・フラナガン - ピアノ
パーシー・ヒース - ベース
アルバート・ヒース - ドラムス
プロダクション
オリン・キープニュース - プロデュース、ライナーノーツ
ジャック・ヒギンズ - レコーディング・エンジニア
ポール・ベーコン、ケン・ブラーレン、ハリス・ルーワイン - デザイン
ローレンス・N・シュスタック - フォト
曲目
参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。
1, Airegin エアジン
(ソニー・ロリンズ)
テナーサックスのソニー・ロリンズが1954年に作曲し、マイルス・デイヴィス・クインテッドによってレコーディングされたジャズ・スタンダードとなりました。
ちなみに「ナイジェリア」を逆読みしたものです。
オープニングからすごいリズム感で軽快に飛ばすウエス・モンゴメリーです。
私の場合、サムピックなどギターを親指で弾くとフラットピックほどはリズムのキレがなくなるのですが、ウエスは別物です。
2, D-Natural Blues D-ナチュラル・ブルーズ
(ウエス・モンゴメリー)
ウエスのブルーズです。何気にとんでもない演奏しています。
ウエスを代表する1曲でもあります。
3, Polka Dots and Moonbeams ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス
(ジミー・ヴァン・ヒューゼン、ジョニー・パーク)
これまた有名なスタンダードです。ジャズを問わずジョン・デンバーからボブ・ディランまで見境なくカバーされている名曲です。
デビューアルバムにして歌心溢れるギターが堪能できます。
クリード・テイラーの息のかかっていない頃のウエスのスタンダード解釈です。
4, Four on Six フォー・オン・シックス
(ウエス・モンゴメリー)
ライブの定番曲です。ウエスのアドリブ・ソロがすごいです。
そしてピアノやベースのソロの時に楽しそうにチャチャ入れてます。
その昔、このタイトルの意味を「ギターでオクターブの音を抑えること」と勝手にイメージしていたのですが、よくよく考えるとそれってちゃんと理論立てて説明できないんですね。
正式には「4 Fingers on 6 Strinngs = 6弦上の4本の指」の略だそうです。なるほど完璧です。
5, West Coast Blues ウエスト・コースト・ブルーズ
(ウエス・モンゴメリー)
朴訥とした感もあり、人柄がわかるようなブルーズです。
ソロは盛り上がって熱くなっていきます。リズムも裏に行ったり表に出たりと自由自在です。
お約束のソロ時にアクセントでリズムをブレイクしてくるところも最高です。
ブルーズの地域分けジャンルとして後期のTボーン・ウォーカー、エイモス・ミルバーン、ローウェル・フルソンなどがカリフォルニアで活動したことを踏まえて「ウエスト・コースト・ブルーズ」というのもあります。ただこの曲とは関係ありません。
6, In Your Own Sweet Way イン・ユア・オウン・スウィート・ウエイ
(デイヴ・ブルーベック)
「テイク・ファイヴ」でも有名なデイヴ・ブルーベックの作品です。
ここではまた違ったギターの世界を見せてくれます。
ところどころでピアノ的なフレーズを感じる瞬間があります。
7, Mr. Walker ミスター・ウォーカー
(ウエス・モンゴメリー)
ウエスのオリジナルですが、スタンダードみたいな、ボサノヴァっぽいメロディです。
ここではまたちょっとトーンを絞ったような音色でメロディを紡いでいきます。
8, Gone With the Wind 風と共に去りぬ
(作曲アリー・ルーベル、作詞ハーブ・マジドソン)
誰もが名前くらいは聞いたことがあると思われる名作映画のタイトル曲ですが、あの有名な「タラのテーマ」ではありません。
「小説 風と共に去りぬ」に基づいて作られ、数多くのミュージシャンにカバーされたジャズ・スタンダードです。ウエス・モンゴメリーは軽快に丁寧に仕上げています。
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