今もヴォーカリストで最も過小評価されているのでは?と思われる女性ヴォーカリストがいます。
アメリカのシンガー、ソングライターで1950年代からプロ活動をしていたエタ・ジェイムスです。
彼女の生い立ちについて語るとなんともアメリカの歴史の闇みたいなものを感じずにはいられません。
エタ・ジェイムスは本名はジェイムセッタ・ホーキンス、1938年1月25日、カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれました。母親はドロシー・ホーキンスといい、ジェイムセッタを産んだ時はまだ14歳でした。
母ドロシーは売春街で暮らしていたので父親については不明です。
ジェイムセッタことエタは長らく自分の父親はビリヤード・プレイヤーで「ミネソタ・ファッツ」の異名を持つルドルフ・ワンダローネと思っていたようです。
このことはまた後述します。
見る限りでは小さな目と丸い顔立ちなのでアジア系、もしくはネイティヴ・アメリカンの血が入っているのでは、と勝手に思っていましたが真相はわかりません。
白人との混血ということになっています。
ドロシーは当時の黒人差別の時代などを考慮しても今でいうところの毒親でした。
育児放棄の状態でジェイムセッタは親戚や祖父母の元を転々としながら育ったようです。
しかもそれは常に虐待に晒されているような状況でした。
歌を歌うことについては天賦の才能があって、5歳の時からロサンゼルス南部のセントポール・バプティスト教会にあるエコーズ・オブ・エデン・クワイア(合唱団)に加わりました。
音楽監督ジェームス・アール.ハインズから声楽の訓練を受け、幼いながらもソリストとしてラジオ局などに出演するようになります。
といえば聞こえはいいもののハインズは腹から声を出すようにとジェイムスの体を殴りながら教えていたという話もあります。
ジェイムス(ジェームセッタ)はいろんな里親に育てられましたが幸せとは程遠いような、常に暴力がついて回るような生活でした。
そんなこんなもありながら14歳の時にミュージシャンのジョニー・オーティスと出会い、「ピーチズ」という名前でレコードデビューします。
この時にジョニー・オーティスの提案で芸名を「ジェームセッタ」をもじって「エタ・ジェイムス」にしています。
ピーチズの「ウォールフラワー」はNo.1ヒットとなりました。
しかしこの辺の状況についても、もう単純におめでとうなんていうより14歳にして普通の子供としては生きていけない、きっと大人の世界でしたたかに仕事をしなければ生きることさえ困難という状況だったことが偲ばれます。
ご紹介する「アット・ラスト!」というアルバムはエタ・ジェイムスがチェス・レコードで1960年にソロデビューしたアルバムです。
チェス・レコードのオーナー/プロデューサーであるレナード・チェスはエタ・ジェイムスの歌を生かすべく他のブルーズマンとは違って弦楽器を配し、ヴォーカルのみを目立たせるレコーディングをしました。
後述する映画でもそういうスタイルのレコーディング風景が出てきます。
そうやってレコーディングされたのがこの「アット・ラスト!」です。
リリース時からアルバムの評価は高く、売れ行きも好調でビリボードのアルバム・チャートでは12位まで上昇し、シングルカットされた「アット・ラスト」2位、「オール・アイ・クッド・ドゥ・ワズ・クライ」2位、「トラスト・イン・ミー」4位、「マイ・ディアレスト・ダーリン」5位のヒットとなりました。
エタ・ジェイムスの魅力に浸るにはまずこのチェス・レコードでのソロデビュー盤「アット・ラスト!」と1963年のとてつもなく熱いライブ「ロック・ザ・ハウス」がおすすめです。
またご紹介します。
この時期のエタ・ジェイムスを描いた映画があります。
「キャデラック・レコード 音楽でアメリカを変えた人々の物語」という2009年公開のシカゴのチェス・レコードを題材にした映画です。
もちろんエタのみならずチェス・レコードの主要アーティストは全員登場します。
チェス・レコードのオーナーはユダヤ人でポーランド移民のレナード・チェスという人物でした。
1950年代からマディ・ウォーターズ、リトル・ウォルター、ハウリン・ウルフ、チャック・ベリーを売り出して成功しました。
レナードは1960年にモダン・レコードの契約が終了したエタ・ジェイムスをチェストで契約させます。
エタ・ジェイムスは義父から人前で殴られながら歌わされたなどのトラウマで、人の要求に素直に応じて歌うことができなくなっていました。
きっとエタの人生では人の言うことを聞く、イコールまた騙され利用される、くらいに感じていたのでしょう。
そんな彼女を見てレナードは気を利かせ、良かれと思ってある行動に出ます。レストランを借り切り、父親であるとされるルドルフ・ワンダローネと食事を企画しました。
しかし映画ではワンダローネの返事は「君に私の面影は無い」ということで娘として認めませんでした。
これを機にジェームスはより一層、アルコールやドラッグに依存することになってしまいます。
ちなみにこの映画「キャデラック・レコード(字幕版)」は2016年10月現在youtubeのソニー・ピクチャーズ公式チャンネルで無料公開されています。
ご興味のある方はご視聴ください。
購入/レンタル用の高画質版もあります。エタ・ジェイムス役をビヨンセが熱演しており、他の登場人物の描写がイメージ通りで引き込まれます。
(はい、いくらなんでもビヨンセとエタ・ジェイムスでは見た目があまりにも・・・などと思ってはいけません)
映画はウィリー・ディクソンのナレーションで始まり、マディ・ウォーターズがアンプリファイドされたシカゴブルーズの一大旋風を起こします。
見どころは多く、リトル・ウォルターのトレードマーク「アンプリファイド・ハープ」(ハーモニカをマイクに直につけて増幅させる奏法)を始めるシーンや早すぎる死。
そして特にマディ・ウォーターズとハウリン・ウルフの描写が粋です。
「あっ、やっぱり、こういう立ち位置でこういう性格だったんだよね」と思わず納得して、目頭を熱くしながらうなづける、という出来でございます。
チェス・レコードも1960年代に入るとロックの時代となり、マディやウルフは仕事が激減、チャック・ベリーは収監され、エタは麻薬の更生施設へと・・・チェス・レコードは停滞していきます。
映画の最後はチェス・レコードに関わったアーティストへの賛辞と共に
「チャック・ベリーはビーチ・ボーイズに勝訴、ロックンロールに多大なる影響を与えた」
「ウィリー・ディクソンはレッド・ツェッペリンに勝訴、彼の曲はボブ・ディランやドアーズにカバーされた」で終わります。
ロックの原点です。
アルバム「アット・ラスト!」のご紹介です。
制作
エタ・ジェイムス ヴォーカル
ハーヴェイ・フークア ヴォーカル
レナード・チェス プロデューサー
フィル・チェス プロデューサー
ライリー・ハンプトン 編曲、指揮
ドン・カメラー ライナーノーツ
ドン・ブロンスタイン カバー
曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。(拡張版です)
1, Anything to Say You’re Mine エニシング・トゥ・セイ・ユー・ア ・マイン
(ソニー・トンプソン)
エタ・ジェイムスは天性の声を持っていました。芯があって中低域の部分の密度がとっても濃い声です。ソウル系のヴォーカリストはみなさん声の迫力という点ではすごいのですが、こういう芯のある声はなかなか見当たりません。
エタ・ジェイムスに影響を受けた筆頭がジャニス・ジョプリンですが、こういうハスキーでない時の真のある声は真似できなかったと思います。
このアルバム全てに通じて言えるることですが、表現力が並ではありません。
この曲の作者のソニー・トンプソンは1940年代から50年代にかけて活躍したR&Bのバンドリーダー、ピアニストです。
2, My Dearest Darling マイ・ディアレスト・ダーリン
(エドウィン「エディ・ボー」ボカージュ、ポール・ゲイテン)
続いてまたミドルテンポのポップな曲が続きます。作者となっている二人はともにR&B系のピアニストです。
3, Trust in Me トラスト・イン・ミー
(ミルトン・エイガー、ジャン・シュワルツ、ネッド・ウェバー)
ジャズ曲です。声を張ったり、流したり、レベルを落としたりと流石の歌唱力です。
1937年に書かれた曲でミルドレッド・ベイリーとウエイン・キング・アンド・ヒズ・オーケストラによってヒットしました。
ルイ・ジョーダン、パティ・ペイジ、ダイナ・ワシントンなどもカバーしています。
4, A Sunday Kind of Love ア・サンデイ・カインド・オブ・ラヴ
(ルイ・プリマ、バーバラ・ベル、アニタ・レナード、スタン・ローズ)
ぐっとスローになり、バックもシンプルです。
1946年に出版されたポピュラーソングです。エラ・フィッツジェラルド、ダイナ・ワシントン、ハンク・ジョーンズなどのカバーで今ではジャズスタンダードとなっています。
5, Tough Mary タフ・メアリー
(エタ・ジェイムス、ジョー・ジョセア)
ここでR&Bが出てきます。
歌い出しの加速感がすごいと感じるところがいっぱいあります。
エタ・ジェイムスとモダン・レコードを設立したビハリ・ブラザーズ(の一人)が書いた曲です。
6, I Just Want to Make Love to You アイ・ジャスト・ウォント・トゥ・メイク・ラヴ・トゥ・ユー
(ウィリー・ディクソン)
シカゴ・ブルーズを代表するコンポーザーと言えるウィリー・ディクソンの作でマディ・ウォーターズの看板曲です。
ここでのバックはブラスと弦楽とドラムで勝負しています。
後半、ジャニス・ジョプリンもミック・ジャガーも相当に影響されたであろう盛り上がりを見せます。
7, At Last アット・ラスト
(マック・ゴードン、ハリー・ウォーレン)
ジャズ・ヴォーカルが堪能できます。1941年にミュージカル映画「サン・バレー・セレナーデ」のために書かれました。
グレン・ミラーのバージョンで有名になりました。
8, All I Could Do Was Cry オール・アイ・クッド・ドゥ・ワズ・クライ
(ビリー・ディヴィス、グウェン・フクア、ベリー・ゴーディ)
チェスのソングライター、3人によって書かれました。ソウルとしても名曲度が高いと思います。
2009年の映画「キャデラック・レコード」でもエタ・ジェイムス役のビヨンセが劇中でカバーしています。
9, Stormy Weather ストーミー・ウェザー
(ハロルド・アーレン、テッド・ケーラー)
これもジャズ曲です。1933年にハロルド・アーレン、テッド・ケーラーによって書かれたトーチ・ソングで同年にエセル・ウォーターズがハーレムのコットン・クラブで歌ったのが初演です。レコーディングも行い、スタンダードとなりました。
他にもデューク・エリントン、レッド・ガーランド、ビリー・ホリデイ、フランク・シナトラ、チャールズ・ミンガスなどのカバーが有名です。
10, Girl of My Dreams ガール・オブ・ドリームス
(チャールズ・「サニー」・クラップ)
ドゥーワップ調のポップな曲です。
以上がオリジナル収録曲です。
本当にこの人はこのソロデビュー時点で超大型新人、即戦力級の逸材でした。
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