ザ・バーズは1960年代にアメリカで起こったフォークロック・ブームの中心的な存在です。
ザ・バーズをわかりやすく説明すると、1960年代中期にアメリカでフォーク・ミュージックをベースに活動していた若いミュージシャンたちがブリティッシュ・インヴェンションの影響でエレクトリック楽器を取り入れて演奏したバンドということになります。
フォークからくるシンプルで綺麗なサウンドとハーモニーはスパイスを効かせた歌詞と相まってフォークロックというジャンルを確立しました。
視覚的にもマッシュルームカットやモッズ的なファッションでフォークファン、ロックファン以外からも幅広く支持されていました。
「ミスター・タンブリン・マン」はザ・バーズの1965年6月21日にコロンビアレコードからリリースされた記念すべきデビュー・アルバムです。
タイトルはボブ・ディランの同年リリースの5枚目のアルバム「ブリング・イット・オール・バック・ホーム」に収録されたナンバーをカバーしたことからきています。
このディランのフォーク調弾き語り曲を見事なロックアレンジでカバーしたことからザ・バーズの快進撃が始まります。
まず簡単な来歴から説明しておきますと。
ザ・バーズの中心人物となるロジャー・マッギンは1942年7月13日、イリノイ州シカゴで生まれました。
エルヴィス・プレスリーに感銘を受けて音楽に目覚め、早くからギターを手にしています。
1957年、16歳の時にオールドタウン・スクール・オブ・フォークミュージックに入学してバンジョーや12弦ギターを習得します。
また、同時にコーヒーハウスなどでフォークのライブ演奏も演っていました。
1963年頃になると、ニューヨークでスタジオミュージシャンとして活動します。
同時にフォーク系のミュージシャンとしてクラブでも演奏していました。
そしてロサンゼルスのクラブ、トルパドールを紹介されそこで演奏をしているときにジーン・クラークと出逢います。
以下、バーズ結成の状況です。(個人的な妄想です)
マッギン : 「今日のギグもなんとか上手く行ったな。でもなんかマンネリ気味だな」
クラーク : 「あっ、マッギンじゃない?メシでも食って帰ろうよ」
マッギン : 「ちょうどよかった。相談したいことがあるんで、タマには奢るよ。遠慮しないで。そこのラーメン屋でいい?」
“いらっしゃいませ”
クラーク : 「じゃあ奢ってくれんなら、味コメ、カタメ、アブラ多めの野菜、ニンニクマシマシ、トッピング全部ノセで」
マッギン : (うわあ、こいつすげー性格してんな)「俺は普通のラーメンにトッピング全部ノセね」
“はい、おまちどうさま”
・・・しばらく二人は無言で一心不乱にラーメンを啜る。・・・
マッギン : 「今、すごいこと思いついちゃった」
クラーク : 「まさかこの期に及んで財布忘れた、じゃないよね」
マッギン : 「ちげーよ、今度一緒にバンド組もうって言ってた件なんだけど」
クラーク : 「ああ、フォークよりロック演って一発当てたいって言ってたやつね」
マッギン : 「それだよ。今確実にウケる方法を思いついたんだ。やっぱり俺って天才だわ。ああもう、自分の才能が・・・怖いくらいだ」
クラーク : 「何勝手にナルシストの世界に行ってんだよ。ちゃんと説明してみ」
マッギン : 「実はボブ・ディランの曲って上手くアレンジすれば結構メロディアスなんだよ。そしてここんとこ、イギリスのバンドが流行ってんじゃん。それだよ。アメリカ人の俺たちはビートルズの格好でボブ・ディランの曲をビーチボーイズ風に演るのぜよ」
クラーク : 「それってミエミエの2番煎じって感じでダサくねえか」
マッギン : 「いやこういうのは特定のひとりとか、一つのバンドみたいなのをそのまんま真似るから2番煎じなんだよ。全部をキレイに真似れば立派なオリジナルってもんさ。考えようによってはエルヴィスもディランもビートルズもみんなそうぜよ」
クラーク : 「肝心の俺らのサウンドのウリは?」
マッギン : 「この前、ビートルズの映画 『ハード・デイズ・ナイト』を見てたら、ジョージ・ハリソンがリッケンバッカーの12弦ギターを持ってたんだ。俺も欲しくなってつい買っちゃったんだよ」
クラーク : 「そりゃまた、金も無いのにミーハーなこって」
マッギン : 「いや、それがまた今まで聞いたこと無いような爽やかで煌びやかな音が出せるんだよ。あのベルを鳴らしているような12弦ギターの音をバンドのトレードマークにすれば完璧ぜよ」
クラーク : 「そうか、じゃあ一丁その路線で成り上がろうぜ。俺的には曲を作ってバンド内で自由に動きたいから5人編成くらいがいいな」
マッギン : 「よし、ビートルズ・プラス・ストーンズのブライアン・ジョーンズだな。それでアメリカを代表するディランの曲を、ビートルズみたいなエレクトリック・サウンドに乗せて、ビーチボーイズみたいなコーラスハーモニーで歌うのぜ」
クラーク : 「まさにいいとこ取り、全部ノセだね」
マッギン : 「女子にも受けるように味コメ、カタメ、ニンニクとアブラマシマシはやめとくのぜ」
ということで、この方式に則ってバンドを始めたのです。
この経緯(いきさつ)はのちに4枚目のアルバム「昨日より若く」のオープニングナンバー「So You Want be a Rock and Roii Star」で思わずバラしてしまうのでした。
以上、妄想終わり。
そんな感じで音楽的に深いものを持っているお坊ちゃん風のデヴィッド・クロスビーをうまくだまくらかし・・・じゃなかった説得して3人目としました。
ベースにクルス・ヒルマン、ドラムにブライアン・ジョーンズに似ているというだけの理由で演奏経験のないマイケル・クラークを入れました。
「ザ・バーズ」の出来上がりです。
コロンビア・レコードと契約した彼らはうまくコネを使ってリリース前のボブ・ディランのアルバム収録曲「ミスター・タンバリン・マン」をバンドアレンジしてデビューすることとなります。
ザ・バーズのバージョンを聞いたディランは改めて自分の曲の可能性に気づいたと言われています。
「The Byrds」というバンド名についてはThe Beatlesのカブトムシを一文字入れ替えたのと同様、「鳥」を一文字入れ替えたとされています。
個人的な考えですが、ロジャー・マッギンはジョン・コルトレーンなどジャズにも興味を持っていたのでジャズ・ギタリストの「Charie Byrd=チャーリー・バード」やその頃新しいジャズを開拓していた「Donald Byrd=ドナルド・バード」あたりに掛けているのではないかと勝手に想像しています。
コロンビア・レコードはその時点では感覚が古く、手堅く音楽を作ろうとヴォーカルとロジャー・マッギンの12弦ギター以外のバックは全てスタジオミュージシャンに演奏させようと考えていました。
シングルA面となった「ミスター・タンブリン・マン」とB面「アイ・ニュー・アイド・ウォント・ユー」はレコーディングにマッギンしか参加していませんが、ブリティッシュ・インベンションの若い、熱いエネルギーを知っているマッギンらは会社を説き伏せてアルバムの残りの曲はバンドで演奏することにしました。
そうやってリリースされたアルバムはアメリカのビルボードのトップLPチャートで6位、イギリスでも7位まで上昇し、12週間ランクインすることになります。
これでフォークロックというジャンルが確立し、ロックは新しい時代を迎えます。
ザ・バーズはこの後、セカンドアルバム「ターン、ターン、ターン」まではこのフォークロック路線で行きますが、その後はラーガロック、サイケデリックロック、カントリーロックなどとスタイルを変えて発展していきます。
ジーン・クラークやデヴィッド・クロスビーも曲を提供しており、ブリティッシュ.ビートを感じるクラークや斬新な感覚を見せるクロスビーもまた面白いものです。
ザ・バーズはロジャー・マッギンを中心にメンバーが変わりながらも続いていきますが、1973年、最後にオリジナルメンバーが結集してラストアルバム「「バーズ」を発表して解散します。
創設メンバーであり初期のソングライティングの中心だったジーン・クラークは1966年にバーズを離れ、ソロで活動していきました。
バーズのラストアルバムには参加しますが1991年5月24日、咽頭癌により46歳で亡くなりました。
デヴィッド・クロスビーは1968年にバーズを脱退し、1970年代にはクロスビー・スティルス・ナッシュ・アンド・ヤングやソロ活動で常に第一線にいました。
2023年1月18日に81歳で亡くなりました。
クリス・ヒルマンは1968年にバーズを脱退、1969年にはフライング・ブリトー・ブラザーズに参加します。
その後もカントリー、ブルーグラス系を中心に活動しています。
マイケル・クラークは1967年「名うてのバード兄弟」リリース後にザ・バーズを解雇されクリス・ヒルマンと共にフライング・ブリトー・ブラザーズに参加しましたが、1993年12月19日に肝臓を患って47歳で亡くなりました。
ザ・バーズの音楽はかなりの影響力を持ち、アメリカではいろんなバンドが輩出されるきっかけになりました。ブルーズ、ロックンロールからロックへの流れとは別にフォーク、カントリーからのロックという点でも重要なバンドです。
アルバム「ミスター・タンブリン・マン」のご紹介です。
演奏
ジム・マッギン(1966年以降はロジャー・マッギン) ヴォーカル、リードギター
ジーン・クラーク ヴォーカル、リズムギター、タンバリン
デヴィッド・クロスビー リズムギター、ヴォーカル
クリス・ヒルマン エレクトリック・ベース
マイケル・クラーク ドラムス
以下、「ミスター・タンバリン・マン」「アイ・ニュー・アイド・ウォント・ユー」のみ
ジェリー・コール リズムギター
ビル・ピットマン リズムギター
ラリー・ネクテル エレクトリック・ベース
レオン・ラッセル エレクトリック・ピアノ
ハル・ブレイン ドラムス
曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。
1, Mr. Tambourine Man ミスター・タンブリン・マン
(ボブ・ディラン)
エレクトリック12弦ギターで一世を風靡したサウンドです。“ディランの声が、歌い方がどうも生理的にムリ” という人でも違和感なく聞けます。
公式 : エド・サリヴァン・ショウでの演奏です。
・ジョン・レノンを意識しているようなロジャー・マッギン
・いかにも作家ですという雰囲気のジーン・クラーク
・育ちの良さそうなデヴィッド・クロスビー
・対照的に後ろでカミソリのような目で睨む不良クリス・ヒルマン
・まんまブライアン・ジョーンズみたいなマイケル・クラーク
と見どころ満載です。
2, I’ll Feel a Whole Lot Better すっきりしたぜ
(ジーン・クラーク)
ザ・バーズによる演奏です。バンドらしく勢いも感じます。いかにもビートルズに影響されていますというような曲です。
3, Spanish Harlem Incident スパニッシュ・ハーレム・インシデント
(ボブ・ディラン)
これもディランの曲をよりポップにアレンジしています。
4, You Won’t Have to Cry もう泣かないで
(ジーン・クラーク、ジム・マッギン)
ブリティッシュ風です。マージービートという言葉を思い出してしまいます。曲自体は普通にいい曲です。
5, Here Without You もう君はいない
(ジーン・クラーク)
さらにマージービートです。ジーン・クラークの狙いがわかります。
6, The Bells of Rhymney リムニーのベル
(アイドリス・デイヴィス、ピート・シーガー)
元々フォーク・シンガーであったマッギンはピート・シーガーにも傾倒していました。ピート・シーガーの曲ですがバーズの方が本家より有名になってしまいました。12弦ギターのアルペジオが生きています。
7, All I Really Want to Do オール・アイ・リアリー・ウォント
(ボブ・ディラン)
ディランの「アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン」というアルバムは通してかなりラフに歌っている感じなのですが、「マイ・バック・ページズ」といいこの曲といいメロデイのキレイな曲が多いと改めて思います。
8, I Knew I’d Want You 君は僕のもの
(ジーン・クラーク)
この曲も「ミスター・タンバリン・マン」同様、バックがスタジオミュージシャンだけあって、良くも悪くも歌謡曲的です。
9, It’s No Use イッツ・ノー・ユーズ
(ジーン・クラーク、ジム・マッギン)
こういう若干荒削りで勢いがある方がウケるとバーズはわかっていました。サステインのないリッケンバッカーでソロを取るにはこれだ、というギターソロの若干のぎこちなさが好きです。
10, Don’t Doubt Yourself, Babe
(ジャッキー・デシャノン)
雰囲気を変えてジャッキー・デシャノンのカバーを持ってきました。ボ・ディドリー・ビートが聞かれます。
11, Chimes of Freedom 自由の鐘
(ボブ・ディラン)
これもディランを代表する名曲です。ここでは心なしか、というよりかなり歌い方をディランに寄せています。
12, We’ll Meet Again また会いましょう
(ロス・パーカー、ヒューイ・チャールズ)
これはフォークの世界では有名なイギリスのフォーク・スタンダードです。
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