「人呼んで“静かに熱き印象主義の鍵盤奏者”」Waltz for Debby : Bill Evans Trio / ワルツ・フォー・デビー : ビル・エヴァンス・トリオ

 1950年代からジャズシーンで活躍したピアニストのビル・エヴァンスはジャズ界にあっては珍しく、老若男女を問わずファン層の広い人でした。
しかも時代を超えて支持され、アルバムは途切れることなく発売され続けてています。一時の流行などではなく、音楽的にも時代を超えた普遍なものがあります。本物のジャズであり、真の名盤です。

ビル・エヴァンスのファンには大きく分けて、こういう人種がいます。

まず

「音楽はそんなに聞かないけど、ジャズだったら好きなのはチェット・ベイカーとビル・エヴァンスかな。」
という人がいます。知的でスタイリッシュな方々です。

次に

「ジャズピアノが好きなんです。キース・ジャレットもミシェル・ペトルチアーニも大好きです。でもビル・エヴァンスは別格ですね。」
という正統派ジャズピアノファンがいます。

そして

「ジャズはやっぱりハードバップだよね、ブレイキー もパーカーも最高だよ。オスカー・ピーターソン もビル・エヴァンスもあの時代はみんないいよ。」
という強者もいます。ハードコアなジャズファンです。

おまけに

「ジャズもいいけどB.B.キングもビーチ・ボーイズ も好きです、ジェームス ・ブラウンもジェームス ・テイラーだっていいと思います。クラッシュもピンク・フロイドもボブ・マーレーもビル・エヴァンスも大好きです。」という無節操で訳のわからない音楽オタクもいます。(すいません私のことです。)

かように、とってもストライクゾーンが広い人なのです。でも、

スタイリッシュなファンから
「何て雑でガサツなの、お洒落じゃないわ」

と言われることも、次の正統派ファンから


「ウケばっかり狙っていて音楽に対して軽くて不真面目よね」

なんて言われることも、次のハードコア・ジャズファンから


「何をみみっちいことチンタラやってんだ、気合を入れて演らんかい」

と叱咤されることもありません。
(最後のオタクはほっときましょう)

ということは「センスがよく」て「知的」で「真摯」で「気骨がある」人なのです。

見た目もやせ型で眼鏡をかけてオールバックの髪型でスーツが似合います。単純に見栄えしてます。


でも実際、本人は苦悩の人で、常に自分を追い込んで表現する芸術家タイプでした。

来歴です。

ビル・エヴァンスは本名ウィリアム・ジョン・エヴァンスといい、1929年8月16日アメリカ、ニュージャージー州ノースプレインフィールドでゴルフコースを経営する家庭に生まれました。
父親は酒飲み、ギャンブル漬け、虐待で相当苦労したようです。
兄とは仲良しで5歳くらいから一緒に地元の教師によるピアノのレッスンを受けていました。
その頃から音楽の才能は感じられたそうです。
高校卒業後、フルート奨学金でサウスイースタンルイジアナ大学に進学し、卒業後はプロとしての音楽活動を始めます。

1951年から1954年まで米陸軍に入隊して楽隊で演奏します。除隊後はスランプに陥り兄のいるバトンルージュにいってましたが1955年7月にはニューヨークに戻ります。
そこで大学で作曲を学んだり、地元で演奏活動を続けます。
そして1956年9月、ジャズギタリスト のマンデル・ロウの推薦によりリバーサイド・レーベルより「New Jazz Conceptions」をリリースしました。

この時期、作曲家のジョージ・ラッセルにも認められます。
ジョージ・ラッセルはこの後、画期的な音楽論文「リディアン・クロマチック・コンセプト = LDC」を発表しました。

これを知ったマイルス・デイヴィスはLDCに精通しているビル・エヴァンスを誘って、ジャズの歴史の転換点と言われるモード奏法の象徴的なアルバム「カインド ・オブ・ブルー」を作り上げます。

エヴァンスはここから上昇気流に乗り、1960年に「ポートレイト ・イン・ジャズ」をリリースし、翌年には歴史に残る名盤「ワルツ・フォー・デビー」をリリースします。
一躍ビッグネームとなり、ここから名アルバムを多数リリースしていきます。

そしてコテコテでハードコアでディスクユニオン巡りが趣味というだけではなく、優雅で繊細でおしゃれなジャズファンを作りました。(みんな愛すべき音楽ファンです)

その後、紆余曲折を経ながらも音楽活動は続けられましたが、1979年ツアー後に幼い頃から仲の良かった兄が自殺したことを知らされます。
そして翌年、1980年9月15日に長年にわたる薬物中毒とそれによる複数の内臓疾患により、ニューヨークにて亡くなられました。まだ51歳でした。

アルバム「ワルツ・フォー・デビー」のご紹介です。

このアルバムはニューヨークのクラブ、ヴィレッジ ・ヴァンガードで1961年6月25日に録音されました。プロデューサーはオリン・キープニュースです。

この人は音にこだわる人で、自ら再発をプロデュースした「キープニュース・コレクション」と言われるリバーサイドのシリーズがあります。

聴いている感じではお客さん少数です。客席のコップやナイフが皿に当たる音、笑い声まで聞こえます。今後何十年も残る音楽の歴史的瞬間なのにガラガラなのがすごいですね。
集中して聴いていると客席の音、食器やグラスの音が本当に後ろから聞こえてくるような気がします。

同じ日の録音アルバム「Sunday At The Village Vanguard」もおすすめです。

この録音から10日後にベーシストのスコット・ラファロが自分で運転する車で事故を起こし亡くなります。
ジャズファンの間では「エヴァンスとラファロは仲が悪かった」とか、「ラファロは金払いが悪いと当日エヴァンスと喧嘩していた」などと言われていましたが真偽は定かでありません。

確実なことはエヴァンスはラファロの死に相当なショックを受けて、しばらく演奏できませんでした。

演奏
ビル・エヴァンス  ピアノ
スコット・ラファロ  ベース
ポール・モチアン  ドラムス


曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。

1,    My Foolish Heart  マイ・フーリッシュ・ハート
(作 ヴィクター・ヤング、ネッド・ワシントン)

綺麗な曲で始まります。いよいよこれからというところですが、お客さん静か。咳する音も聞こえます。
拍手から想像すると10人くらいか。この曲もこの瞬間からジャズスタンダードです。


2,    Waltz for Debby  (Take2)  ワルツ・フォー・デビー
(作 ビル・エヴァンス、ジーン・リース)

エヴァンスを象徴する名曲です。ドラムが入るまで静かな曲なので、話し声も聞こえるのが面白いところです。ドラムとともにベースも本領発揮です。途中負けじとお客さんの笑い声も入ってます。


3,    Detour Ahead  (Take2)  デトゥアー・アヘッド
(作 ルー・カーター、ハーブ・エリス、ジョニー・フリーゴ)

この少ない音数でエヴァンスの世界に持っていきます。


4,    My Romance  (Take1)  マイ・ロマンス
(作 リチャード・ロジャース、ローレンス・ハート)

オリジナル盤は知らないのですが、マスターテープの劣化のせいでしょう、最初のところで音が崩れます。私はこういう部分は許せます。60年前のドキュメントですので完璧より感謝が上回ります。
内容は文句ありません。


5,    Some Other Time  サム・アザー・タイム
(作 レオナルド・バーンスタイン、ベティ・コンデン、アドルフ・グリーン)

ベースが印象的です。エヴァンスは紡いでいくような演奏です。


6,    Milestones  マイルストーンズ
(作 マイルス・デイヴィス)

マイルスの曲です。エヴァンスとしてもマイルス には思い入れがあるのでしょう。このアルバムでは唯一リズミカルな演奏です。


以上がオリジナルアルバムの曲です。ボーナストラックもありますが、オリジナルフォーマットの方が質、量ともにいいと思います。

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