「人呼んで “イーストコースト・ピードモント・スタイル“ 大衆音楽の大スターで華麗にリゾネーターギターを操る盲目のブルーズマン」The Rough Guide to Blues Legends Blind Boy Fuller : Blind Boy Fuller / ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・レジェンド・ブラインド・ボーイ・フラー : ブラインド・ボーイ・フラー

 ブラインド・ボーイ・フラーはブラインド・ブレイクやロバート・ジョンソン同様、1930年代に活躍したブルーズマンです。
私の脳内では勝手に“戦前の5大盲目ブルーズマン”の一人となっています。

ちなみに他の4人とは以前にもご紹介しました「ブラインド」の後に「ブレイク」「レモン・ジェファーソン」「ウィリー・マクテル」「ウィリー・ジョンソン」と続く方々です。

ここにめでたく完結、といいたいところですがブルーズの世界はそんなに浅くはありません。
レヴァレンド・ゲイリー・デイヴィスさんとかスリーピー・・ジョン・エステスさんとかまだまだ大物がたくさんいらっしゃいます。

第2次世界大戦前のブルーズは「プリ・ウォー・ブルーズ」と呼ばれますが、その中でも人気・実力ともに抜きん出た存在でした。(他の皆さんも色んな意味で同じくらいすごいのですが)
ジャンルを大別するとブラインド・ブレイク同様、ギターでストライド・ピアノのような演奏をするラグタイム・ブルーズと言われるものになりそうですが、フラーの場合はちょっと違います。

親指と人差し指(あるいは他の指も使います)を交互に使ってシンコペーションあるリズムを出す演奏方法です。
後にブルーズ研究家、民俗学者のピーター・B・ローリーによって、ラグタイム・ギターとは分けて「ピードモント・スタイル」「ピードモント・ブルーズ」と命名されました。

または地域的なことを踏まえてデルタ・ブルーズなどと区別するためにイースト・コースト・ブルーズとかサウスイースタン・ブルーズと呼ばれます。
ブラインド・ボーイ・フラーのアルバムに「イースト・コースト・ピードモント・スタイル」というのもあります。
ということでアメリカ大陸の東側を拠点に活躍しました。

ブラインド・ボーイ・フラーは本名をフルトン・アレンといい1904年7月10日にノースカロライナ州ウェイズボロに10人兄弟の一人として生まれました。(兄弟10人とは今となればまたすごい話です) 
名前の通り盲目のブルーズマンの一人ですが、生まれつきではなく10代の半ば頃に次第に視力を失って行ったとのことです。
シャーロットの医者に診てもらいましたが(これはある意味誤診でした)1937年の眼底検査で視力喪失の原因は未治療の新生児結膜炎の長期的影響によるものとされました。

1928年までに完全に視力を喪失したフラーはブラインド・ブレイクのレコードやブラインド・ゲイリー・デイヴィスのライブなどを研究して次第にギタリストとしての腕を上げていきました。

そしていよいよ1935年にレコードデビューを果たします。(何気に書いていますがすごい話です)

ノースカロライナ州バーリントンのレコード店の店長兼タレントスカウトのジェームス・バクスター・ロングがARC(アメリカン・レコーディング・カンパニー)にフラーのためのレコーディングセッションを設定しました。

そしてニューヨークに赴き「ラグ・ママ・ラグ」を含む数曲をレコーディングします。
この時にフルトン・アレンは “ブラインド・ボーイ・フラー” とクレジットされ、この名義で生涯120曲以上をレコーディングすることになります。
いかに人気者でレコード会社にとっても「おいしい存在」だったかが偲ばれます。

ブラインド・ボーイ・フラーの奏でるブルーズはノリが良く、ダンス用として大人気でした。

当時のブルーズマンのほとんどは貧しくて困窮しており、安くて有名なステラ社製のギターなどを使用していましたが、フラーは違ってナショナル社のリゾネーター・ギターを使用していました。
そこに他のブルーズマンとはまた違う音楽へのアプローチ、センスを感じます。

このギターはスティール製で共鳴版があり普通のアコースティック・ギターに比べれば格段に大きい音が出せます。
元々はバンジョーにも負けないくらいの大きな音が欲しかったために開発したものとされています。
現在でも一定の人気があり、リゾネーターギターの代名詞とも言われているドブロ・ブランドは作り続けられています。

ちょっとカントリーブルーズからは脱線しますが、最近のリゾネーターギター事情はというとエリック・サーディナス様のエレクトリック・リゾネーターがすごいです。
特にこのロックパラスとでのライブ映像は1分30秒を過ぎたあたりからはフルボリュームにして本領発揮です。スリーピースバンドとは思えない轟音パフォーマンスは見どころです。

話を戻しまして
フラーがリゾネーター・ギターを使ったのは大人数の観客に対応できること、ダンスしていても音がかき消されないことなどを考えてのことだと思われます。

彼の表現豊かなヴォーカルと素晴らしい技術を持ったギター奏法は大評判でした。

後世のロックミュージシャンへの影響も大きく、有名なところではジェファーソン・エアプレーンから派生したギターのヨーマ・コーコネンとベースの・ジャック・キャサディを中心にしたバンド、ホット・ツナにはギター奏法にかなりの影響がみられ、「トラッキン・マイ・ブルーズ・アウェイ」のカバーもあります。
アイリッシュ・ブルーズ・ロックの雄だったロリー・ギャラガーも「ピストル・スラッパー・ブルーズ」をカバーしていますし、ローリング・ストーンズのライブ・アルバム「ゲット・ヤー・ヤー・ヤズ・アウト」はフラーの曲をもじったものです。
ザ・バンドの歌う「ラグ・ママ・ラグ」はフラーに同じタイトルの曲があり、インスパイアされたことは否定できません。
プログレッシブ・バンドのピンク・フロイドの名前の由来はバンドの創始者の一人、シド・バレットの持っていたブラインド・ボーイ・フラーのアルバムのライナー・ノーツに同じイースト・コーストのブルーズマン、ピンク・アンダーソンとフロイド・カウンシルという名前が載っておりそこから着想したというのは有名な話です。

などと後世への影響も大きいのですが、ブルーズ研究家の間ではブルーズの亜流とされることも多く、さほどブルーズの重要人物とはみなされない風潮もあったようです。

しかしブルーズの枠にとらわれず、いろんなものを吸収して、なおかつ人気者で数多くの録音を残したということは紛れもなく大衆音楽の大スターだったブラインド・ボーイ・フラーなのです。

フラーは直情型の性格でもあったらしく1938年に銃で妻の足を負傷させ、投獄されています。
(思うに盲目なのに拳銃を持っているとかって、どういうシチュエーションなのかよくわかりません) 
そのためにその年のジョン・ハモンドによってニューヨークのカーネギーホールで開催されていたコンサート「フロム・スピリチュアル・トゥ・スゥイング」にエントリーされていましたが出演できませんでした。
代わりにブルーズ・ハープのソニー・テリーが出演してここから華々しく活躍することになります。
同じくピードモント・スタイルのブラウニー・マギーとのデュオは有名です。

1938年といえばロバート・ジョンソンも出演させようとジョン・ハモンドは探しましたが、ジョンソンはすでに亡くなっていたという話も残っています。

フラーは1940年に釈放されてニューヨークで2回レコーディング・セッションを行いましたが、なんとも体力の衰えが激しく全盛期には及ばないものだったそうです。
1941年2月13日にノースカロライナ州ダーラムの自宅で臓器の感染症と腎不全で亡くなりました。
享年33歳でした。

テネシー州出身でピードモント・ブルーズの後継者であるブラウニー・マギーは「デス・オブ・ブラインド・ボーイ・フラー」という曲を書いています。

彼も他の戦前ブルーズマンと同じく写真が少なく2枚ほどしか残されていません。
ハンティング帽のものとハットを被ったものの2枚です。

ブラインド・ボーイ・フラーの有名なアルバムは「イースト・コースト・ピードモント・スタイル」とか「トラッキン・マイ・ブルーズ・アウェイ」などが定番でしたが、やはり最近リリースされたものの方が音質の改善が見られます。

ということで「ラフ・ガイド・トゥ」シリーズから「The Rough Guide to Blues Legends : Blind Boy Fuller」をご紹介します。CDは入手困難なようですがストリーミングなどでお楽しみください。

アルバム「ザ・ラフ・ガイド・トゥ・ブルーズ・レジェンズ : ブラインド・ボーイ・フラー」のご紹介です。

Bitly

曲目
*まとまったオフィシャルな音源が見当たらないので曲ごとにyoutube音源をリンクさせていただきます。

1,   Truckin’ My Blues Away No. 2 (Take 2) (1937) トラッキン・マイ・ブルーズ・アウェイ ナンバー2

レコードジャケットのイラストと相まってフラーを象徴する曲です。このノリがロックンロールに繋がります。

2,   Thousand Woman Blues (1940) サウザンド・ウーマン・ブルーズ

ゴスペルタッチの曲調です。ウイリー・ジョンソンやゲイリー・デイヴィスなどギターエヴァンジェリストを思い出します。盲目のブルーズマンはフラーに限らずほぼ全員宗教歌も謳っていました。

3,   Mama Let Me Lay It On You (1936) ママ・レット・ミー・レイ・イット・オン・ユー

ポップで歌心も感じられ、素晴らしいナンバーです。ギター1本での表現力がすごいと思います。

4,   Corrine What Makes You Treat Me So (1937) コリーン・ホワット・メイクス・ユー・トリート・ミー・ソー

ミディアムテンポでシンプルに始まります。この情感がなんとも素晴らしいのです。

5,   Get Your Yas Yas Out (1938) ゲット`ユア・ヤス・ヤス・アウト

ダンスチューンです。ミンストレルショーなどでみんなで笑いながら謳って踊っているのが目に浮かびます。のちにローリング・ストーンズの名ライブアルバムのタイトルに使われました。

6,  Flyin’ Airplane Blues (1938) フライン・エアプレーン・ブルーズ

表現の幅がとても広い人だったのが偲ばれます。

7,   Weeping Willow (1937) ウィーピング・ウィロー

ブルーズやジャズでよくあるテーマです。このスクラッチノイズが小さくなった音で聞くとまた味わいがあります。

8,   Jivin’ Woman Blues (1938) ジャイヴィン・ウーマン・ブルーズ

なんともシンプルながら味わいのある演奏です。

9,   Bulldog Blues (1937) ブルドッグ・ブルーズ

こういう木訥とした曲にもブラインド・ボーイ・フラーらしさを感じます。スキャットも登場します。

10,  Twelve Gates To The City (1940) 12ゲート・トゥ・ザ・シティ

これもゴスペルです。サウンドがこの時代にしては斬新です。

11,  Step It Up And Go (1940) ステップ・イット・アップ・アンド・ゴー

ロックンロールの原点を感じます。またテキサス・ブルーズのライトニン・ホプキンスへの影響も感じます。

12,  Baby Quit Your Low Down Ways (1939) ベイビー・クイット・ユア・ロウ・ダウン・ウェイズ

これもライトニン・ホプキンスなどのダウンホーム・ブルーズへの繋がりを感じさせます。

13,  Piccolo Rag (1938) ピッコロ・ラグ

はい、お得意のラグです。ブラインド・ブレイクと双璧をなす(くらいの)ラグタイム・ブルーズ・ギターです。

14,  You Never Can Tell (1937) ユー.ネバー・キャン・テル

これは伝統的なブルーズ形式の曲です。ブレイクしたり音を積み上げていくようなギターソロにも味わいがあります。

15,  Lost Lover Blues (1940) ロスト・ラバー・ブルーズ

なぜかブラインド・ウィリー・マクテルさんを思い出してしまうのでした。

16,  Baby You Gotta Change Your Mind (1935) ベイビー・ユー・ガッタ・チェンジ・ユア・マインド

洗濯板と共に安定のラグタイム・ブルーズです。ほのかな哀感もいいのです。

17,  Screaming And Crying Blues (1938) スクリーミング.アンド・クライング・ブルーズ

これもブルーズ形式の曲です。ブラインド・ボーイ・フラーならではの雰囲気があります。

18,  Tom Cat Blues (1937) トム・キャット・ブルーズ

どうやってこの音を出しているのでしょう、と思わせます。

19,  Rag, Mama, Rag (Take 2) (1935) ラグ・ママ・ラグ

これも洗濯板を率いて安定のラグタイム・ブルーズです。歌い方にモダンな感覚も感じます。

20,  Walking My Troubles Away (Take 2) (1936) ウォーキング・マイ・トラブルス・アウェイ

ブルーズ形式のこれまたブルーズではよくあるトラブルについての歌です。

21,  Untrue Blues (1937) アントゥルー・ブルーズ

なんと言いますか、ブルーズから一歩進んだ感覚を感じます。

22,  Jitterbug Rag (1938) ジッターバグ・ラグ

ブラインド・ボーイ・フラーを代表する曲の一つです。歌無しでワッシュボードによるリズムとカズーのリードとイエーという掛け声がなかなかの味わいです。

23,  Homesick And Lonesome Blues (1935) ホームシック・アンド・ロンサム・ブルーズ

マディ・ウォーターズなどにもつながる曲調を感じます。

24,  (I Got A Woman Crazy For Me) She’s Funny That Way (1936) (アイ・ガット・ア・ウーマン・クレイジー・フォー・ミー)シーズ・ファニー・ザッツ・ウェイ

初期のレイ・チャールズなどにも繋がりそうです。

25,  Bye Bye Baby Blues (1937) バイ・バイ・ベイビー・ブルーズ

3連のリズムがエルモア・ジェイムスにつながっていきます。

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