「ザ・フーとキット・ランバートとクリス・スタンプ、若者の若者による若者たちのためのマーケティング戦略」The Who Sings My Generation : The Who / マイ・ジェネレーション : ザ・フー

 今となっては偉大なるロック・レジェンドと言われるブリティッシュ・ロックの大物バンド、ザ・フーによる1965年リリースのデビューアルバムをご紹介します。

わたくしは実は昔からこのバンドのファンでして、若い頃からひとかたならぬ思い込みがありました。

思い出すのは1980年代初頭、近くに貸しビデオ屋さんができてザ・フーの幻の映画(今となってはそうではありません)「ザ・キッズ・アー・オールライト」が置いてありました。
それがなんとVHSではなくてベータのビデオだったのです。

当時すでにVHSの録音再生機機が一般的で、私もそれしか持っていませんでした。
すでにベータはマニアックな機器となっていました。
でも私はそのためだけに当時20万円以上するベータの再生機器を買おうかと真剣に悩んでいたくらいです。(結局買わなかったけどね)

その後やっとVHSでも発売されて擦り切れるまで観たような記憶があります。
しかしながら思い入れが強い割にはなかなか人に勧めにくいバンドなんです。

おすすめとなると相手によりますが、大体は定番で芸術性も高いロックオペラの「トミー」とかハードロックの名盤「フーズ・ネクスト」あたりになります。
実はとりわけお勧めしにくいのがこのデビューアルバムだったりします。

歴史に残る「マイ・ジェネレーション」とかポップな「ザ・キッズ・アー・オールライト」など入門用にはいい曲もあるんですが、ジェームス・ブラウンやボ・ディドリーのカバーに至っては、・・・はっきり言ってオリジナルには遠く及びません。

特にブラック・ミュージックが好きな人には「で、カバーについてですが・・・まあ、気持ちはわかるので・・・ここはひとつ温かい目で見守ってあげましょう」としか言えない雰囲気です。

そういう下手さ加減も含めて好きなバンドなんです。(屈折してます)

ザ・フーについてはマネージャーの存在も重要だったことは朧げには知っていました。
キッド・ランバートとクリス・スタンプについてはザ・フーがらみの記事には時々登場していました。

そしてここにきて “ザ・フーをスターダムに押し上げた二人の男たち「ランバート・アンド・スタンプ」(字幕版)”というドキュメンタリー映画が公開され、なぜかyoutubeでソニー・ピクチャーズ公式として本編無料公開中となっております。

この無料公開期間がいつまでかは分かりませんが、観てみるとロックが巨大ビジネスになる前の若者の若者による若者のためのマーケティング戦略がとても興味深く語られています。

映画の主役の一人、キッド・ランバートはすでに1981年に他界しています。
もう一人の相棒だったクリス・スタンプのインタビューを中心にザ・フーのメンバーやデビュー当時の関係者によってキッド・ランバートとクリス・スタンプとザ・フーの関係について語られていきます。

大きな流れとしてはお互いに映画を撮りたいと思って意気投合したランバートとスタンプがハイ・ナンバーズというバンドに目をつけ、今までにないマーケティング戦略で大スターにしていく過程をドキュメンタリー映画として撮ろう、という内容です。

これを観ていると、まず今までとは違う、他とは違うロックバンドとして売り出すために普通のバンドとは違う形態にします。
ギターのピートとドラムのキース・ムーンを全面的に出し、容姿の整ったロジャー・ダルトリーはあえて存在感のないヴォーカルにしたことなどが理解できます。

実際、ザ・フーのメンバーも彼らの功績を認めており、ここからスウィンギング・ロンドンとかモッズ・ムーブメントに直結していきます。

そして何故にザ・フーというバンドはアルバムごとにイメージが変わっていったのか。ファースト・アルバムからして音楽の方向がソウル風だったり、ポップス風だったり、マージービート風だったり実験的だったりとごちゃごちゃでイメージが定まらないのもなんとなくわかる気がしてきます。

ランバートはフーのメンバーに比べて10歳ほど年上です。父親はクラシックの作曲や指揮などをしており、音楽的な素養は十分でした。またオックスフォード出身の秀才でもありますが、ゲイでそのことが当時はかなりのコンプレックスだったようです。

クリス・スタンプは年齢的にはランバートとフーのメンバーの中間です。
タグボートの船長という労働者階級の出身で、これまたそこにイギリスの階級社会の壁を感じてコンプレックスとなっていました。

二人の共通の目的は映画を撮りたいということで、その方面の仕事に就いていました。
ある日偶然に出会って意気投合し、ロンドンでアイドルとは程遠いメンバーのいるバンドを見つけます。

そしてまずハイ・ナンバーズという名前を「ザ・フー」と改名しました。

そしてザ・フーのコンサートにくる観客を主役にします。

一番目立つファッションをしているなどを基準にそういう人をタダで呼んで目立たせました。そういう選ばれた観客たちからアドバイスをもらったりもしています。

サウンドや選曲も当時のロンドンで一番ヒップなもの、新しい感覚のものにしていきました。

ロンドンの若者のアンゼムとなった「マイ・ジェネレーション」もわざと吃音で歌うアドバイスをしたりしたそうです。
これはクスリでハイになった状態だとこうなる傾向があるということで、経験者はリアルな親近感を覚えます。

そういう今までにないプロデュース方法でバンドを売っていきます。

キット・ランバートがバンドにいろんなアイデアを与えて、クリスが全体をうまく調和させてマネージメントする役割でした。
二人とも基本的にはザ・フーに対しては褒めて伸ばすタイプだったようです。キットが曲やステージングについてのアドバイス、クリスが運用面でのマネージメントをしました。

ザ・フーは破壊的なステージでやたらとお金のかかるバンドだったのですが、なんとかやりくりしていました。
実際シングルヒットはあったものの経済的に余裕ができたのは「トミー」がヒットしてからだそうです。

ただしフーの場合はそういう戦略に乗って流されただけではなく、ピートの作曲能力や各メンバーの比類なき個性によって生き残ったバンドです。
仮にランバートとスタンプがいなくてもビッグになっただろうとは思います。

実際にザ・フー関連の映画としては名作「トミー」や「四重人格」があります。キース・ムーンが亡くなったことをきっかけにロック・ドキュメンタリー映画の名作「ザ・キッズ・アー・オールライト」もできました。
しかしそれらにはランバートとクリスは一切関係していません。本来の目的がバンドのドキュメンタリー映画制作であったのにも関わらずにです。

それは逆説的にザ・フーというバンドが誰にも操れないような、相当にしたたかでぶっ飛んだ存在だったことを証明しています。

1960年代にザ・フーを通して類稀(たぐいまれ)なる個性が集まるという現象がロンドンで起こったことは間違いない事実です。

この組み合わせは最初はうまく混ざり合って効果を発揮していましたが、1968年の「トミー」あたりから噛み合わなくなってきます。
未完の大作「ライフハウス」や「四重人格」まではなんとか繋がりがありましたがキース・ムーンもキット・ランバートも薬物依存が原因(と思われる)で亡くなり、関係は消滅します。

映画の最後の方は生き残ってきたロジャー・ダルトリーとクリス・スタンプが中心となって語ります。(もうみなさん和解しています)

考えてみればロジャーは昔から薬物については否定的でした。
喧嘩っ早い性格でしたが薬物には否定的で、バンドメンバーの持っていた薬物を勝手に全部トイレに流してバンドをクビになりそうになったりしています。
クリス・スタンプも中年になってからは薬物からは足を洗っており、そうしたことで本当の自分の世界が広がったと答えています。

なんだかんだと言っても現状で日本は欧米ほどは薬物が蔓延していないようです。まだ暮らしやすい国なのかな、などと思ってしまうのでした。

ということで裏事情を知ればさらに楽しめるザ・フーのデビューアルバムについてでした。

アルバムの音質についてはなかなかのこだわりを感じ、この時代にしてはエッジのたった刺激的な音が楽しめます。
イギリスではブランズウィック、アメリカではデッカよりリリースされました。
アメリカ盤のジャケットはビッグ・ベンを背にしたメンバーのポートレイトとなっています。

アルバム「マイ・ジェネレーション」のご紹介です。

Bitly

演奏
ロジャー・ダルトリー  リードヴォーカル、ハーモニカ

ピート・タウンゼント  エレクトリック・ギター、バッキング・ヴォーカル、リードヴォーカル(Tr.11)

ジョン・エントウィッスル  ベースギター、バッキング・ヴォーカル

キース・ムーン  ドラムス

ゲスト・ミュージシャン
ニッキー・ホプキンス  ピアノ

シェル・タルミー  プロデューサー 

曲目(オリジナルアルバムに準拠)
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。(デラックス・エディションです)

1,   Out in the Street アウト・イン・ザ・ストリート
 (ピート・タウンゼント)

このコードをかき鳴らす始まりが今となっては初期のフーらしさを感じます。ブラックミュージックを取り入れようとしているのはわかります。ここは温かい目で見守りましょう。ギターの瞬発力を感じる瞬間など聞きどころもあります。

2,   I Don’t Mind アイ・ドント・マインド
 (ジェームス・ブラウン)

ジェームス・ブラウンの中でもソウルフルでカバーはしやすい曲だと思います。イギリスのバンドはシカゴブルーズ系やレイ・チャールズ、サム・クックなどのカバーやリスペクトが多い印象ですが、そうかフーはジェームス・ブラウンできたか、といった感じです。ヴォーカルも演奏も敬意を払って基本に徹しています。

3,   The Good’s Gone ザ・グッズ・ゴーン
 (ピート・タウンゼント)

このひねたちょっとダルそうなヴォーカル、シンプルなリフはのちのブリティッシュ・パンクにつながりそうです。

4,   La-La-La-Lies ラ・ラ・ラ・ライズ
 (ピート・タウンゼント)

このアルバムでは一番ポップな曲です。まんまモータウンという雰囲気でもあります。

5,   Much Too Much マッチ・トゥ・マッチ
 (ピート・タウンゼント)

この雰囲気、歌い方はこれも10年後のパンクにつながる感じです。サウンドを盛り上げるキース・ムーンも聴きどころです。

6,   My Generation マイ・ジェネレーション
 (ピート・タウンゼント)

言わずと知れたロック・アンセムです。イギリスのティーンエイジャーに向けて発信します。ギターではなくベースでソロを取るというのが後世に大きく影響を与えました。全編にわたって他のバンドとは異質のリズム感、ドライブ感を持つジョン・エントウィッスルのベースが楽しめます。影響といえばスティングもインタビューでいかに画期的なことかを言及しています。

7,   The Kids Are Airight ザ・キッズ・アー・オーライト
 (ピート・タウンゼント)

このアルバムで一番キャッチーなメロディと構成を持った名曲です。いきなり登場するので最初は皮肉の効いたジョークかと思ったくらいです。
でもよく聞くと普通ではないキース・ムーンのドラムとかも潜んでいます。

8,   Please Please Please プリーズ・プリーズ・プリーズ
 (ジェームス・ブラウン、ジョニー・テリー)

これに挑戦するとは怖いもの知らずか!とツッコミを入れたくなるファンクのゴッドファーザー、ジェームス・ブラウン様の初期の大ヒット曲です。何気に演奏も真面目に取り組んでいそうなところは好感が持てます。

9,   It’s Not True イッツ・ノット・トゥルー
 (ピート・タウンゼント)

これに関してはビートルズの曲と言っても通りそうなほどのビートルズ的な曲です。ピート的にはこういうのも余裕で演れるんだぜと言いたいところだと思います。

10,  I’m a Man アイム・ア・マン
 (ボ・ディドリー)

ボ・ディドリー・ビートと四角いギターで有名なボ・ディドリー様がチェスでレコーディングした曲ですが、これの元ネタはウィリー・ディクソン作、マディ・ウォーターズで有名な「フーチ・クーチ・マン」です。イギリスの人はみんなこういうのが好きなんです。ボ・ディドリーはイギリスでは想像以上に人気があるとのことです。

11,  A Legal Matter ア.リーガル・マター
 (ピート・タウンゼント)

ピート・タウンゼントのヴォーカルです。この曲は思いっきりローリング・ストーンズに寄せているって感じるのは私だけでしょうか。彼らは何気に先輩バンドには敬意を払うのです。

12,  The Ox ジ・オックス
 (タウンゼント、エントウィッスル、ムーン、ニッキー・ホプキンス)

面白いからこれも入れちゃえ、という感じが満々です。確かに他のバンドはこういうのは演っていなかったのかも知れません。

以上がオリジナルアルバムのフォーマットですが、最近はジミー・ペイジも参加した「ボールド・ヘッデッド・ウーマン」やシングルヒットした「アイ・キャント・エクスプレン」や「エニウェイ・エニハウ・エニフェア」などのボーナストラックをつけたものが一般的です。

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