1950年代から1970年代にかけてジャズを代表するレコードレーベルに「ブルーノート」がありました。
今でもジャズの代名詞のように言われています。
ハードバップから新主流派、フリー、ソウル、ファンクなどへ変わっていった時代を見事に牽引していきました。
ジャズを知るにはとりあえずマイルス・デイヴィスとブルーノートを押さえろ、とも言われます。
またブルーノートとはブルーズ特有の音階という意味もあり、ブラックミュージックを好きな人には刺さるのです。
いまだにジャズファン、オーディオファンに世界的に支持されています。
ブルーノートレーベルの重要人物は次の5人です。
1、アルフレッド・ライオン ブルーノートの創設者、プロデューサー、社長
2、フランシス・ウルフ ライオンの幼馴染、プロデューサー、カメラマン、財務係
3、ルディ・ヴァン・ゲルダー 録音エンジニア
4、リード・マイルス ジャケットデザイナー
5、アイク・ケベック 本人はとても素敵なテナーサックス奏者ですが、ミュージシャンのスタジオまでの送り迎えなどの裏方仕事で積極的に動いてくれたそうです。
まず最初、アルフレッド・ライオンがドイツからアメリカに渡り、黒人のアルバート・アモンドやミード・ルクス・ルイスの演奏しているピアノに感銘して記録に残したいと思いました。
1939年、ここが始まりです。
そのあとは黒人の演奏するジャズにひたすら惚れ込んで録音していきます。
有名になるのは1955年から1500番台を世に出した時です。
録音エンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーと組んで当時最先端のハードバップを録音しました。
ルディ・ヴァン・ゲルダーはプロフェッショナルに徹していて、クライアントの要求には応える技術を持ち合わせていました。
ブルーノート以外のレーベルの録音も数多くこなしています。なのでレーベルのイメージを決定づけた「ブルーノートの音」と言われるものは、ヴァン・ゲルダー個人の考えではなくライオンの希望や要求に応えた結果です。
そしてスタジオで演奏している様子をフランシス・ウルフが趣味のカメラでたくさん写しました。
被写体としては最高だったのでしょう。
その写真をもとにデザイナーのリード・マイルスが切ったり貼ったり伸ばしたり縮めたりし、さらに文字をくっつけたりしてレコードジャケットを作成しました。
こうして数々のジャズの名作が誕生していきます。
通常レコードは録音順に番号が付けられてリリースされます。
ブルーノートで有名なのは1500番台と4000番台と言われるものです。
1500番台は1985年から1988年にかけて1501〜1600まで製作されました。
ちなみに1501はマイルス・デイヴィスに始まり1600はスリー・サウンズのデビュー盤です。
4000番台は4000から4400番台までありますが一般的なイメージでブルーノートらしいと言えるのは4200番台くらいまででしょうか。
アルフレッド・ライオンは1965年に体調不良で引退となりますが、積極的に最前線で関わっていたのはこの辺までという気がしています。
4001はソニー‘ロリンズの「ニュークス・タイム」です。
4000番台と言われるシリーズも最後の方になるとホットドッグを持った美女とか、ピアノを担いだサンタさんとか、ヒンズー教みたいなジャケットとかが登場してきます。
ジャズファンにはもう通常のブルーノートでは飽き足らず「この混沌とした世界が好き」という方もいらっしゃいます。
最後にブルーノートの功績として
・ちゃんと目的を持ったプロデューサーがいればジャズが芸術作品となるということを知らしめた。
・ジャズの熱気をレコードに納めた。(音質にこだわった)
・ブルーズとジャズを関連づけ、ジャズからのソウル、ファンクへという流れを作った。
・ジャズをヒップでスタイリッシュでかっこいいジャンルにした。
・リハーサルなどの拘束時間にもギャラを払うなどのビジネスとしてのジャズとミュージシャンの社会的な地位の向上させ・・・ようとした。(ジャンキーは治せませんでした)
・ミュージシャンの最高の状態の演奏を記録することにこだわったため、代表作はブルーノート盤というミュージシャンが多い。
などなどがあります。
ブルーノートがなかったら今見えているジャズの景色は変わっていることでしょう。
最後にレーベルを代表する曲を参考までにリンクさせていただきます。
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