「追悼スティーヴ・クロッパー第2弾、M.Gズの1970年のアルバムはなんとビートルズ「アビー・ロード」のフルコピーです。」McLemore Avenue : Booker T.& the M.G.’s / マクレモア・アヴェニュー : ブッカー・T・アンド・ザ・M.G.ズ

 サザン・ソウル、メンフィス・ソウルのサウンドをを語る上で欠かせないグループ、ブッカー・T・アンド・ザ・M.G.ズです。

これは彼らが1970年4月にリリースした10枚目のスタジオ・アルバムとなります。
内容はビートルズのラスト・アルバム「アビー・ロード」のカバーアルバムです。

タイトル「マクレモア・アヴェニュー」とはスタックス・レコード社屋の前の通りの名称であり、さらに通りを4人で横切る構図のジャケットまで同じというシャレの効かせようです。

レコーディングは1969年となっています。
「アビー・ロード」が1969年9月26日にリリースされたことを考えると、出た途端にコピーしてカバーアルバムを作ったことになります。

まだヒットチャートに残っていそうな時に全曲カバーのアルバムをレコーディングするというとんでもなさです。

ソウル・ミュージック界のミュージシャンは言わずもがなでロック・ミュージックに影響を与えていましたが、同様にロックを逆輸入したカバーもたくさんありました。

有名なところではローリング・ストーンズの初期の代表曲「サティスファクション」をオーティス・レディングはほぼ同時期と言えるくらいでカバーしていますし、ビートルズの「デイ・トリッパー」もカバーしています。
ウィルソン・ピケットの「ヘイ・ジュード」も有名です。アレサ・フランクリンやアイズレー・ブラザーズにもロックのカバー曲がたくさんあります。そんな時代でした。

ブッカー・T・ジョーンズはこのアルバムを企画した経緯について

アビイ・ロードを聴いたとき、私はカリフォルニアにいました。
ビートルズがそれまでのフォーマットを捨て、音楽的に新しい道を歩み始めたのは、信じられないほど勇気のあることだと思いました。
彼らはそうする必要もなかったのに、限界を押し広げ、自分たちを改革したのです。
彼らは世界のトップバンドでしたが、それでも自分たちを改革したのです。
その音楽は本当に素晴らしかったので、私は彼らに敬意を表す必要があると感じました。

このアルバム「マクレモア・アヴェニュー」の中に

It’s pretty hard trying to fit these guys’ music onto one album…
we don’t have conceptions of albums.
I think Paul has conceptions of albums – or attempts it.
Like he conceived the medley thing… on the album I sing about Mean Mr.Mustard and Polythene Pam,
but they are only unfinished bits of crap that I wrote in India

-John Lennon, September 1969

直訳すると(Google翻訳)

「この人たちの音楽を一枚のアルバムに詰め込むのはかなり大変なんです…僕たちにはアルバムという概念がないんです。ポールはアルバムという概念を持っている、というか、それを試みていると思います。メドレーの曲も彼が思いついたように…アルバムではミーン・ミスター・マスタードとポリティーン・パムについて歌っていますが、それはインドで書いた未完成の駄曲なんです。

ど・どゆこと? 
すいません、ちょっとついていけてません。
ジョン・レノンにコメントを求めたらこういう答えが返ってきたのでしょうか。

きっと「よくぞ、やってくれたね」というジョン・レノンなりの賛辞だと思います。(勝手な解釈です)

ともあれビートルズのメンバーは以前からスティーヴ・クロッパーの演奏とオーティス・レディングのスタックスでのプロデュースを高く評価していたそうです。

ジョンとポールはメンフィスでレコーディングを行い、クロッパーと共演する暫定的な計画を立てていたのですが、マネージャーのブライアン・エプスタインがセキュリティ上の問題を理由にキャンセルしてしまったそうです。
アルバム「リヴォルバー」の頃のことです。

そのことについてスティーヴ・クロッパーがインタビューに答えてエプスタインと話したことなどを語っているのを呼んだことがありますが、彼は常に自然体なので、そういうことをことさらウリにしてアピールするようなことはありませんでした。

「別にビートルズと言っても、連中が前の通りを歩いていても、誰も気にしないよ。と言っといたんだけど結局、来なかったね」と答えていました。

ブッカー・T・アンド・ザ・M.G.ズとビートルズはアル・ジャクソンだけ1935年生まれとやや年長ながら他のメンバーはほぼ同世代となっています。
変にライバル心を出すとかではなくいい感じの関係です。

このアルバムの聞きどころはたくさんありますが、ドナルド・ダック・ダンとポール・マッカートニーのベースラインの違い、ベースに対するアプローチの違いを楽しめるようになったら、もうあなたの音楽感性はコンプリートです。(きっと)

ブッカー・T・アンド・ザ・M.G.ズのメンバーの来歴をご紹介します。

ブッカー・T・ジョーンズ
1944年11月12日、テネシー州メンフィスに生まれました。
黒人指導者のブッカー・T・ワシントンにちなんだ父親のブッカー・T・ジョーンズ・シニアから名付けられたそうです。

父親はメンフィス高校の科学の先生で比較的安定した生活でした。音楽的には天才で学校ではオーボエ、サックス、トロンボーン、コントラバス、ピアノを演奏し、教会ではオルガンを演奏していました。

そして16歳の頃からプロのミュージシャンとして活動しています。

バンドメンバーで存命なのはブッカー・T・ジョーンズだけとなってしまいました。

最年長でもないのにリーダーとしてまとめてこれたのはリーダーシップと貫禄のある風貌があったからではないかと思っている次第です。

使用楽器はハモンド・オルガンでB3という機種が有名ですが、よりコンパクトなE3という機種を使用しておりブッカー・T・ジョーンズのトレードマークとなっております。

スティーヴ・クロッパー
1941年10月21日、ミズーリ州ドラで生まれました。
9歳の時にメンフィスに引っ越して、14歳の時に初めてギターを手に入れます。

1961年にはマーキーズとして「ラスト・ナイト」でシングルヒットを飛ばしてそのままスタックスのA&R(アーティスト・アンド・レパートリー)としてマネージメントや芸術監督としても活躍することになります。

トレードマークはフェンダー・テレキャスターというギターです。
最初はエスクワイアーというテレキャスターの前身モデル(形状は一緒でフロントマイクがないライプ)を使用していましたが後にブロンド・フィニッシュのテレキャスターとなりました。

オーティス・レディングの「ドック・オブ・ザ・ベイ」やエディ・フロイドの「ノック・オン・ウッド」ウィルソン・ピケットの「ミッドナイト・アワー」などソウル・ミュージックを代表するナンバーの共作者としても有名です。

ビートルズ関連ではジョン・レノンのアルバム「ロックンロール」にジェシ・エド・ディヴィスとともに参加しています。

クロッパーはフェイバリット・ギタリストとしてチェット・アトキンスやチャック・ベリー、ジミー・リードなどと並んで真っ先にジャズのタル・ファーローなどを挙げているところにセンスを感じます。

ソロ・アルバムも10枚ほどリリースしています。
ファースト・ソロ・アルバムのタイトルはビートルズナンバーの「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド」でした。

2025年12月3日、ナッシュビルで亡くなりました。84歳でした。


アル・ジャクソン・ジュニア
1935年11月27日、メンフィスで生まれています。
父親はジャズ/スウィングのダンスバンドを率いていました。
ジャクソンは幼少期からドラムを初めて1940年、5歳の時には父親のバンドでステージに立つようになりました。

トランペット奏者のウィリー・ミッチェルのバンドやベン・ブランチのバンドでも演奏するようになります。

音楽誌ドラムのインタビューでミッチェルはこう回想しています。

「アル・ジュニアは当時14歳くらいだった。彼の父親に『おい、お前の息子を起用しよう!』と言ったら父親は『うわっ、こいつはまだこんなの叩けないよ!』と言いましたが、結局ギグに参加しました。

シンバル、スネア、バスドラムのキットをセットして、私は演奏をスタートさせました。

するとなんと20テンポで叩き始めたんです。

それは午後7時頃の話でした。

1時間後の午後8時頃に父親が戻ってきた時には、アル・ジャクソン・ジュニアはまるでプロのようにバンドを操っていました。」

幼馴染で将来はバンド仲間となるドナルド・ダック・ダンとスティーヴ・クロッパーはブッカー・T・ジョーンズに

「スタックスに迎え入れたいドラマーがいるんだ、君たちも知っておくべきなんでクラブに聞きに行ってくれ。」

ということで二人は聞きに行くことになりました。

ダック・ダンの話では深夜1時に自分のギグを終えて、クラブに立ち寄って演奏を聞いたら帰宅が午前4時か5時くらいになってしまった。
「ジャクソンのせいで僕は離婚寸前になったんだ。それほど彼は素晴らしかった」
と語っています。

音楽活動は順調だったものの、1975年9月30日、自宅が強盗に押し入られ拳銃で撃たれ命を失ってしまいました。

ステイーヴ・クロッパーをはじめ何人もの音楽仲間がアル・ジャクソン・ジュニアを「最高のドラマー」と評します。

そして世界中の評論家、ファンからは「メンフィス・ソウルの至宝」と言われました。

この人の顔つきが思いっきり性格を表していそうで、とても人情味のある人だったのではないかと思います。

ドナルド・ダック・ダン
1941年11月24日、メンフィスで生まれました。
父親がディズニーのキャラクターにちなんで「ダック」というニックネームで呼んでいました。

スティーブ・クロッパーとは子供の頃からスポーツをしたり、自転車に乗ったりする仲でした。

クロッパーがギターを始めたので、ダンはベースを選びました。

クロッパーは独学でベースを学んだダンがレコードに合わせて演奏し、そこにあったはずのものを自分で埋めていくことから始めたと言っています。

ダンもマーキーズでデビューしました。
1965年にブッカー・T・アンド・ザ・M.G.ズの初代ベーシスト、ルイ・スタインバーグに変わってベースを弾くことになります。

ドナルド・ダック・ダンのベースは「太く、グルーヴィーでソウルフル」と形容され、いろんなジャンルのアーティストに引っ張りだこでした。

愛妻家のダンは妻ジューンと亡くなるまで結婚生活を送り、二人の息子と一人の孫ももうけました。

2012年5月13日、クロッパーとエディ・フロイドとのツアーで東京のブルーノートで5日目のダブルショーを終えた後、眠っている間に亡くなりました。
70歳でした。

以上4人が、派手さはないけれど、誰もが認めるアメリカン・ソウル・ミュージックの最重要バンド、ブッカー・T・アンド・ザ・M.G.ズです。

アルバム「マクレモア・アヴェニュー」のご紹介です。

Amazon.co.jp: Mclemore Avenue: ミュージック
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演奏
・ブッカー・T. &・ザ・M.G.ズ

ブッカー・T・ジョーンズ  オルガン、ピアノ、キーボード、ギター

スティーヴ・クロッパー  ギター

ドナルド・ダック・ダン  ベースギター

アル・ジャクソン・ジュニア  ドラム

制作
・プロデュース、アレンジ  
ブッカー・T・&ザ・M.G.ズ

・エンジニア  

ロン・カポネ、ゴードン・ラッド、リック・ベッコネン、テリー・マニング

・リミックス・エンジニア
スティーヴ・クロッパー、ジョン・フライ

・フォト  
ジョエル・ブロッキー

・アート・ディレクション  
ザ・ギラフィテリア/デヴィッド・クリーガー

・美術監修  
ハーブ・コール

曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。


1,   Medley : Golden/slumbers,   Carry That Weight,   The End,   Here Comes the Sun,   Come Together
 (メドレー : ゴールデン・スランバーズ〜キャリー・ザット・ウエイト〜ジ・エンド〜ヒア・カムズ・ザ・サン〜カム・トゥゲザー)


このアルバム全ての流れに言えることですが、ブッカー・Tがオルガンで曲の形を作って他の3人がいつものアプローチで音を入れていきます。
推進力を増していくアル・ジャクソンのドラムと、作らず、飾らず、背伸びせずの状態で、ここにこういう音があるといいな、という感じで演奏しているクロッパーとダック・ダンが伺えてこれはこれで楽しめます。
最後の方「カム・トゥゲザー」でスティーヴ・クロッパーのねちっこいギターソロも聴けます。

2,   Something サムシング

原曲はポールの動き回るベースがすごくいいアクセントを出しているのですが、当然ダック・ダンは同じアプローチはしません。いつものスタックス・サウンドでいきます。
スティーヴ・クロッパーもあの印象的なイントロのフレーズを弾かないところがまた・・・そういえば「デイ・トリッパー」でもいきなりギターのイントロは入れないからなあ。

3,   Medley : Because,   You Never Give Me Your Money
 (メドレー : ビコーズ〜ユー・ネバー・ギヴ・ミー・ユア・マネー)


「ビコーズ」のオリジナルはコーラスのみですが、ここではあえてベースを入れます。
そのベースがゆったりしたメロディでとてもいい役割を果たしています。
そしてファンキーに始まる「ユー・ネバー・・・」が聞きものです。

4,   Medley : Sun King,   Mean Mr. Mustard,   Polythene Pam,   She Came In Through the Bathroom Window,   I Want You (She’s So Heavy) 
 (メドレー : サン・キング~ミーン・マスター・マスタード~ポリシーン・パン~シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウインドウ~アイ・ウォント・ユー)


スローテンポの「サン・キング」に始まって徐々にファンキーさが増していきます。
最後の「アイ・ウォント・ユー」のリフレインで派手さはないもののある・ジャクソンのドラムに引き込まれます。
オリジナルのLPレコードではここまでですが、CDになって「ユー・キャン・ドゥ・ザッツ」「デイ・トリッパー」「ミッシェル」「エリナー・リグビー」そしてイナたいアレンジの「ユー・キャン・ドゥ・ザッツ」(これが何気にかっこいい)と「マクレモア・アヴェニュー」のコマーシャル音源が追加されました。

最後にリアジャケはストリートの看板ですが、なんかストーカー感が満載です。

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