ザ・ビートルズの最終作品、1969年9月28日リリースの「アビー・ロード」のご紹介です。
映画レット・イット・ビーのサウンドトラックアルバム「レット・イット・ビー」が1970年5月8日のため、そちらのアルバムが形式的にはラストアルバムとなっていますが、レコーディングはアビーロードの方が後になります。
レット・イット・ビー、というかゲット・バック・セッションの終了後、3週間足らずで「アビーロード」の制作に入りました。
現在のビートルズに関する認識としては「アビー・ロードが最終作」とするのが一般的です。
このアルバムはいつの時代でもロックアルバムとしては必ず上位に評価され、ビートルズのアルバムの中でも屈指の名作となっています。
制作にあたっては解散を目前にしているものの、ビートルズとしても今までロックを引っ張ってきた自負とプライドがありました。
10年ほど前にエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーなどのロックンロールに憧れていたイギリスの若者がバンドを結成します。それがビートルズです。編成には当時のイギリスのバンド、ザ・シャドウズなどを参考にしたと思われます。
そして今までの誰とも違ったのが、自分たちで曲を作り自分たちで歌って演奏したことです。
全員アメリカの音楽が好きだったことは言うまでもありません。
でもブラック・ミュージックについては弟分のザ・ローリング・ストーンズというやたら深い部分まで追求しているバンドが出てきました。
同じ土俵でストーンズと張り合っても不利だと考え、いち早くフォークやカントリーなどの要素も取り込みました。
そのオリジナリティ溢れる音楽はアメリカのみならず全世界で受け入れられます。
1965年リリースの六枚目のアルバム「ラバー・ソウル」あたりから通常のヒット曲では飽き足らなくなり、ボブ・ディランやビーチ・ボーイズなどにもライバル心を燃やします。
1966年「リヴォルヴァー」、1967年「サージャント・ペパーズ」と新しいコンセプトで展開していき、素晴らしい成果を納めますが、次の「マジカル・ミステリー・ツアー」でコンセプトアルバムにも終止符を打ちます。
単純にもう突き詰めて飽きたという感じだったのかもしれません。
そこで一旦リセットして、また各人のアイデアを練り上げていくことになります。
1968年リリースの「ホワイト・アルバム」は、それはそれでまたバラバラ感を出しつつも奥行きを持ったアルバムとなりました。
そして行き詰まります。
映画「レット・イット・ビー」ではメンバー間の軋轢が思い切り描かれていて、多分そう長くバンドは続かないだろうと全員思っていたようです。
ジョン・レノン
もう普通の曲を作ることには飽きています。きっとヒット曲なんて今更どうでもいいという心境です。ロックを牽引してきたビートルズのリーダーでもあり、前衛芸術家のヨーコと付き合っているため音楽もよりアートな方向に軸足を移していっています。
ジョージ・ハリソン
興味の対象がインド哲学などの精神世界にハマっており、またエリック・クラプトンやボブ・ディランなど他のミュージシャンとも交流が深いため柔軟な音楽性も持っています。アイデアいっぱいです。
リンゴ・スター
グループ内での潤滑剤的な存在ですが、周囲がこうも顕にエゴを出すようになると嫌になってきています。なんかもう冗談も通じないし、必要としてくれるなら付き合うよといった感じです。
ポール・マッカートニーは考えました。
「これじゃもう長くはないだろうけど、今までの実績からして「レット・イット・ビー」でビートルズが終わっては納得行かない。ビートルズは好きだったけどあのアルバムはイマイチ気に入らないしな。最後にもう一度、納得できるようなすごいアルバムを作ろう」
ということでジョンに言いました。ジョンは年上で昔から一目置いている兄貴分です。
「貯めている曲があったら出してくれない?。中途半端なやつでもいいよ、全部綺麗にまとめて見せるから」
ジョンはセンスの塊なので作る曲は断片でも超強力です。
年下で弟分のジョージには
「最近、結構いい曲書いてるからその中でビートルズ向きなのを2曲ほど頂戴」
最近のジョージを見ていると他のミュージシャンとツルんだりして、音楽的には伸び代がまだまだあると思っています。
最年長ですが甘えられるリンゴには
「1曲、またリンゴっぽい曲を書いてみない?ホワイトアルバムの時みたいに」
といって誘いました。
ジョージ・マーチンにも「最後にいい仕事をして終わろう」と協力を求めます。
そうやって世紀の名盤「アビーロード」は完成しました。(以上、ポール目線の私見です。諸説あります)
アルバム「レット・イット・ビー」がリリースされた1970年には合わせたように4人ともソロアルバムをリリースしました。
ポールは私小説風の「マッカートニー」を、ジョンは過去の自分に決着をつける「Plastic Ono Band : ジョンの魂(通称じょんたま)」をリリースします。
ジョージも同じく友達のなったエリック・クラプトン率いるデレク・アンド・ザ・ドミノスの連中をバックに「オール・シングス・マスト・パス」をリリースしました。アイデアがありすぎてLPレコード三枚組となってしまいました。
リンゴも「センチメンタル・ジャーニー」をリリースします。
形で表さないと世間ではビートルズ解散なんて認めてくれなかったようです。
サウンド面で言うとここで8トラックのテープレコーダーと真空管から進化したトランジスターによるミキサーが使われました。また、リミッターやコンプレッサーが使用され当時の感覚では音が柔らかくなったとエンジニアのジョン・エメリックが答えています。当時は斬新な楽器だったムーグ・シンセサイザーも使われています。
のちにピンク・フロイドの「狂気」や自身のアラン・パーソンズ・プロジェクトなどで活躍するアラン・パーソンズもこの時期、アビーロード・スタジオで働いていました。
元から高音質で有名だったアルバム「アビー・ロード」ですが、1982年くらいに最初にCD化されたのを聞いた時は、硬くてキラキラした音でした。
2009年のリマスターCD ボックスはかなり音質が改善されてバランスの取れた音になったと感心しました。
そしてトドメは2019年、ジャイルズ・マーチンによるリミックスバージョンです。
丁寧な仕事によってこれ以上は望めないくらいの音質となっています。LPレコードやリマスターCDを持っている人でも聴いてみる価値があります。
私が物心ついた時にはもうすでにビートルズは解散していました。中学生になって英語の時間が出てきた時によし、よし洋楽を聞こうと思って揚々とレコード店に行きました。
LPレコードをめくりながら何から始めようかと迷っていた時、最高にかっこいいいと思えるジャケットを発見しました。
ザ・ビートルズの「アビー・ロード」とサイモン・アンド・ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」です。
特にスーツを着て裸足で歩道を歩くポール・マッカートニーは衝撃でした。
サウンド・オブ・サイレンスもS&Gの二人が田舎道を歩きながら振り返っているだけの構図ですが、みょうにカッコよく感じたのを覚えています。今思えばそういう年頃だったのですね。
アルバム「アビー・ロード」のご紹介です。
演奏(みなさんマルチプレイヤーなので主たる演奏楽器のみ記載します)
ジョン・レノン ヴォーカル、ギター
ポール・マッカートニー ヴォーカル、ベース
ジョージ・ハリソン ヴォーカル、ギター
リンゴ・スター ドラムス、パーカッション
ゲスト・プレイヤー
ジョージ・マーチン チェンバロ、オルガン
ビリー・プレストン ハモンドオルガン
プロダクション
プロデューサー ジョージ・マーチン
レコーディング・エンジニア ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド
アシスタント・エンジニア アラン・パーソンズ
ミキシング・エンジニア ジェフ・エメリック、フィル・マクドナルド、ジョージ・マーチン(ビートルズと)
曲目
参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。
1, Come Together カム・トゥゲザー
しなるようなリズムとキレのあるジョンのヴォーカルで始まります。このスタジオバージョンが完成されすぎていてこれ以上のバージョンは今後も出てこないのではと思わされます。
チャック・ベリーの「You Can’t Catch Me」とそっくりだとして訴えられます。そう言われればそうですかと言う感じですが訴えは認められました。
ジョンはお返しに敬意を込めてソロアルバム「ロックンロール」で正式にカバーします。
2, Something サムシング
ジョージを代表する名曲です。裏メロをベースで奏でるポールもそのフレーズの凝り具合から相当に高く評価しているようです。
3, Maxwell’s Silver Hammer マックウエルズ・シルバー・ハンマー
ジョンとジョージは「オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ」同様、この手のおとぎ話的な曲が大嫌いだったそうです。ポールはあえて視聴者の年齢層を狭めたくなかったのではないでしょうか。ビジネス面でビーチボーイズやボブ・ディランと競争するには幅広い購買層が必要と考えていたのかもしれません。
当然、芸術寄りのジョンと精神世界のジョージに至っては、そう言うのはもういいよ、興味ないという感じです。
4, Oh Darling オー・ダーリン
ポールの歌手としての器用さというか技術の高さがわかります。ジョンが「ドント・レット・ミー・ダウン」を気持ちよく演ったので、自分もソウルっぽいのを歌ってみようと思ったのかもしれません。
バックの演奏もみんな気合いが入っています。
5, Octopus’s Garden オクトパス・ガーデン
初期のリンゴのテーマ曲だった「ボーイズ」もそうだったのですが、リンゴのヴォーカルの時はジョンもポールもジョージも張り切っていい仕事をします。ジョンのアルペジオとかジョージのリードギターとかポールのベースやコーラスが最高です。
6, I Want You (She’s So Heavy) アイ・ウォント・ユー(シーズ・ソー・ヘヴィー)
ジョンの攻めた曲です。ラストのノイズと共にデカくなる音が唐突になくなります。LPレコードの時代はA面がここで終わるため「もう切れて死んだ」と感じていましたが、CDになると「ヒア・カムズ・ザ・サン」にうまくつながって別の趣が出てきました。
7, Here Comes the Sun ヒア・カムズ・ザ・サン
これもジョージを代表する、ビートルズをアコースティックギターで演奏するにはまずこれ、と言う名曲です。
8, Because ビコーズ
有名な “空が青いから泣けてくる” という歌です。ジョン・レノンは「カム・トゥゲザー」から「ビコーズ」までとんでもない振幅の差を持っているのですが、ジョンはそれで普通なんです。
9, You Never Give Your Money ユー・ネヴァー・ギブ・ユア・マネー
ここから歴史に残るメドレーが始まるわけですが、個人的には前曲「ビコーズ」からすでに始まっているように感じています。意味不明なタイトルはその時期のポールがアラン・クレインと言う人物について思っていることをそのまま歌詞にしたそうです。
10 Sun King サン・キング
偶然かもしれませんがジョージの「ヒア・カムズ・ザ・サン」とテーマがダブっています。お日様についてジョージは日向ぼっこの安らぎで、ジョンは異国情緒たっぷりの畏怖を歌います。
11, Mean Mr. Mastered ミーン・マスター・マスタード
続いてのギアチェンジが素晴らしく、ガレージバンド風にカッコよく決めます。
12, Polythene Pam ポリシーン・パン
さらにパンク風味が加わります。
13, She Came Through In the Bathroom Window シー・ケイム・スルー・イン・ザ・バスルーム・ウインドウ
ポールの腕の見せ所です。ジョンのバンドのドライブ感をうまく引き継いで展開し、情緒的な方向へ持っていきます。
歌詞はポールの日常に起こったことをそのまま歌詞にしました。
14, Golden Slumbers ゴールデン・スランバーズ
はい、見事に繋いでバラードに落とし込みました。
15, Carry That Weight キャリー・ザット・ウエイト
さらにゴスペル、ソウルなどの雰囲気を持たせてみたり、信仰の念まで感じさせるような大団円です。
16, The End ジ・エンド
シメです。リンゴのドラムソロも入れます。ギターソロを3人で回します。
最後のご挨拶と出血大サービスです。
17, Her Majesty ハー・マジェスティ
あえて、完璧にしないほうが面白いと思ったのでしょう。イギリス人らしくシニカルに笑って終わります。
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