「悲哀に満ちたヴォーカル、ギターのカポタストは鉛筆と輪ゴム。ブルーズを体現していたスリーピー・ジョン・エステス」The Legend of Sleepy John Estes : Sleepy John Estes / スリーピー・ジョン・エステスの伝説 : スリーピー・ジョン・エステス

 スリーピー・ジョン・エステスはブルーズマンの中でも特異な存在です。

最初の活躍したのはPre War Blues(戦前ブルーズ)と呼ばれ、大二次世界大戦前のカントリーブルーズがアメリカ南部で湧き上がった頃です。

1929年から1940年くらいまでブルーズミュージシャンとしてレコードをリリースして活動していました。

ギターを弾きながらまるで泣いているような声で歌うブルーズは当時もなかなかの説得力がありました。

1935年には有名な「ドロップ・ダウン・ママ」や「サムデイ・ベイビー・ブルーズ」をレコーディングして大ヒットさせました。

しかし大戦後になるとブルーズは下火となり、カントリーブルーズもシカゴ・ブルーズのようなエレクトリックなバンドのブルーズに形を変えて、それが主流になっていきます。

彼のようなカントリー・ブルーズのミュージシャンは仕事が次第に減っていきました。

1952年に一時復帰したもののそれ以外のところで世間の注目を浴びるようなことはありませんでした。

戦後、1960年代になるとフォークブームなどの影響もあって、ブルーズ黎明期の大物ミュージシャンの発掘がされていきます。

しかしスリーピー・ジョン・エステスに至っては若い頃から枯れた老人みたいな声であったため勝手にかなりの年配だろうと思われていたことと、ブルーズマンのビッグ・ビル・ブルーンジーがエステスは死んだ旨のこと記していたなどの理由で、もうみんなエステスは死んだものだと思っていたそうです。

ところが1962年になって再発見されることになります。

プロデューサーでブルーズの歴史研究家でもあるボブ・ケスター氏と、同じくロバート・ジョンソンやブラインド・ウィリー・ジョンソンの研究などで有名なブルーズ研究家、プロデューサー、およびミュージシャンであるサミュエル・チャーターズ氏によって発見されたのでした。

その時はすでに視力を完全に失って貧困に喘いでいたそうです。

そしてこの「スリーピー・ジョン・エステスの伝説」がレコーディングされたのでした。

スリーピー・ジョン・エステスの出生については諸説ありますが、墓碑によると1899年1月25日にテネシー州リプリーに小作農の息子として生まれました。

本名はジョン・アダム・エステスといいます。
(第一次世界大戦の徴兵カードには1900年となっており、さらには1904年の説もあります)

今の時代では想像できませんが十六人兄弟の中の一人でした。
この状況では余程裕福でない限り栄養が行き渡らないと思います。

父親は小作農でしたがギターを弾くエンターテイナーでもありました。
エステスは早くから父親にギターを教わりました。

1915年には家族でテネシー州ブラウンズビルに引っ越しています。

エステスは目が不自由で最終的には全盲となります。

その原因は、エステスは幼少期から畑仕事を手伝ったりなどして暮らしていましたが、6歳の頃に友達の投げた石が右目に当たって失明し、もう一歩の目にも障害が残りました。
(野球をしていたとの説もあります) 
最終的には両目とも失明して盲目になってしまうのですが、時代が時代なら(今の時代なら)ちゃんとした治療を受けて失明することもないような気がします。

名前のスリーピー(眠そうな)・ジョンの由来については諸説あります。

目の負傷によって見た目が寝ているように見えるという説と、最も有力なのは病気だったと言う説です。

いつでもすぐうとうとしてしまう習性、生活だったので、これはナルコプラシー(居眠り病)と言う病気だったとか、血圧の障害があったとか、てんかんを患っていたとも言われています。

デルマーク・レコードの創始者ボブ・ケスターは
「エステスは単に人生があまりにも過酷だったり、退屈だったりして、十分な注意を払う余裕がない時はいつでも周囲から引きこもって眠気に陥ることがあった」
と言っています。

もしかしたらあまり人に関わり合いたくないため大人しく寝ているフリをしていたのかもしれません。

エステス自身は
「毎晩どこかへ出かけていた。昼間は働き、夜は演奏し、日の出頃には家に帰る。ラバを連れてすぐに出発する。小屋で一度寝てしまったこともある。演奏中にあまりにも寝てしまうので、スリーピーと呼ばれていた。でも、一度も音を外したことはなかった。」
と答えています。

何はともあれ音楽に対する矜持が伺えます。

1962年の再発見後にレコーディングされた本作はエド・ウィルキンソンベースとハミー・ニクソンのハーモニカ、ジョン・“ノッキー”・パーカーのピアノを伴って録音されました。

前曲統一されたサウンドで昔レコーディングした曲をセルフカバーしています。
とっても充実した内容でスリーピー・ジョン・エステスの世界が感じられます。

日本でも国内盤がリリースされ、学生の頃レコード店で「涙無くしては聞けない悲痛なブルース」と帯に書いてあるのを眺めていた思い出があります。

ジャケットがまた良くてギターを抱えたまま寝ているようなエステスの姿があります。

ショックだったのはアコースティック・ギターのカポタストを鉛筆と輪ゴムみたいなもので作っていることです。

例えばジョン・レノンはビートルズの初期を振り返り「みんなと同じように、みんなアートスクールではスリーピー・ジョン・エステスなどを聴いていた」とインタビューで答えていました。
ボブ・ディランは「ブリング・イット・オール・バック・ホーム」のライナーノーツでエステスに言及しています。
レッド・ツェッペリンのロバート・プラントは「最も初期に影響を受けた人物の一人」としてエステスを挙げています。

そういう偉大なるブルーズ・レジェンド、スリーピー・ジョン・エステスでも、こういうなんともな状況だったのですね。

それを思えば私なんぞに本当のブルーズなんてわかるはずも・・・・と改めて思うのでした。

再発見後、エステスは1974年と1976年に来日もしてくれました。
日本でもこのアルバムはブルーズとしては異例の売り上げを記録したそうなのでその結果だと思われます。
もちろん当時の私は知りませんでしたし、まだコンサートに自由に行けるような年齢でもありませんでした。

ライ・クーダーは1972年のアルバム「ブーマーズ・ストーリー : 流れ者の物語」でスリーピー・ジョン・エステスの「スウィート・ママ」をカバーしました。
また敬意と救済を兼ねて同アルバムの「プレジデント・ケネディ」でメインヴォーカルをとってもらっています。

1977年6月5日、脳梗塞で亡くなりました。

彼の墓石にはこう刻まれています。

スリーピー・ジョン・エステス

「もう哀れなジョンの心を悩ませることはない」 ジョン・アダム・エステスを偲んで 
1899年1月25日 – 1977年6月5日 
ブルースの先駆者 ギタリスト – ソングライター – 詩人

*上記写真、Wikipediaからの引用です。

冒頭の”..ain’t goin’ to worry Poor John’s mind anymore”と言う言葉は1935年にレコーディングされた「サムデイ・ベイビー・ブルーズ」の1節です。
同じ時にレコーディングされた「ドロップ・ダウン・ママ」でも自分のことを「プア・ジョン」と呼んでいます。また「プア・ジョン・ブルーズ」というタイトルの曲まで作っています。

アルバム「スリーピー・ジョン・エステスの伝説」のご紹介です。

Amazon.co.jp: スリーピー・ジョン・エスティスの伝説: ミュージック
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演奏
スリーピー・ジョン・エステス  ギター、ヴォーカル
エド・ウィルキンソン  ベース
ジョン・“ノッキー”・パーカー  ピアノ
ハミー・ニクソン  ハーモニカ

曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。

1. Rats In My Kitchen ラッツ・イン・マイ・キッチン

貧困に喘いでいる盲目のブルーズマンが悲痛な声で「キッチンにネズミがいる・・・」と歌うのですから凄い世界です。
ただこの歌の本当の意味はネイテぅヴな人でないとわからないのかも、と思ってしまいます。

2. Someday Baby サムデイ・ベイビー

エステスを代表する曲の一つです。ベイビー、いつか君は私を悩ませなくなるだろう、と言う歌詞はブルーズによくある女性に見立てて農園の主人のことを歌っているようです。

3. Stop That Thing ストップ・ザッツ・シング

軽快なダンスチューンです。ブルーズミュージシャンは酒場で仕事をするにはエンターテイナーでもなければならず、みなさんダンスミュージックも演っていました。
エステスはメディスン・ショーなどにも参加していたそうです。

4. Diving Duck Blues ダイヴィング・ダック・ブルーズ

もし川がウイスキーだったら、私が潜水するアヒルだったら、潜って2度と出てこないだろう、で始まります。ハードな人生を歌っています。

5. Death Valley Blues デス・ヴァレー・ブルーズ

カリフォルニア州にデス・バレーと言う砂漠の谷があります。
この曲はデルタ・ブルーズの巨匠アーサー・“ビッグボーイ”・クルーダップのカバーです。

6. Married Man Blues マリッド・マン・ブルーズ

カントリーでも同名のスタンダード曲があります。いい感じのウォーキングベースに乗ってエステスが歌います。

7. Down South Blues ダウン・サウス・ブルーズ

タイトル通り南部のダウンホーム・ブルーズというです。デルタ・ブルーズの影響を感じさせます。

8. Who’s Been Telling You, Buddy Brown フーズ・ビーン・テリング・ユー・バディ・ブラウン

割と軽快な曲です。いろいろと例えて女性のことを歌っています。きっとブルーズによくある叡智な内容です。

9. Drop Down Mama ドロップ・ダウン・ママ

若い男の子が女性と一夜をともにする歌です。軽快にドライブしたサウンドです。

10. You Got To Go ユー・ガット・トゥー・ゴー

これも比較的アップテンポのダンスチューンです。ドラムレスの編成のため、ベースのリズムがキモとなってます。

11. Milk Cow Blues ミルク・カウ・ブルーズ

このタイトルはブルーズやカントリーでよく見かけるタイトルです。いろんなバージョンがあります。ロバート・ジョンソンがスリーピー・ジョン・エステスのを元に「ミルクカウズ・カーフ・ブルーズ」をレコーディングしています。
ザ・キンクスやエアロスミスがカバーしているのはココモ・アーノルドのバージョンが元になって、エルヴィス・プレスリーを経由したものです

12. I’d Been Well Warned アイド・ビーン・ウエル・ワーンド

最後はソウルフルに締めてくれます。

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