

2008年に発表された「ローリング・ストーンが選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」で堂々1位になったアレサ・フランクリンです。
この時の選考メンバーにはレコード会社関係者、ジャーナリスト、プロデューサーなどに加えてミュージシャンも加わっているそうです。
例としてアート・ガーファンクル、ブルース・スプリングスティーン、ジョン・メレンキャンプ、ノラ、ジョーンズ、オノ・ヨーコ、ロニー・ジェームス・ディオなどが名を連ねています。
ちなみに2位はレイ・チャールズ、3位エルヴィス・プレスリー、4位サム・クック、5位ジョン・レノン、マーヴィン・ゲイ、ボブ・ディランと続きます。
アレサ・フランクリンは1961年にコロンビア・レコードからデビューしましたが、ここではポピュラー・シンガーとして売り出され、ポップスやジャズっぽい曲を歌っていました。
特にこのレーベルではヒットチャートに乗るような活躍はなかったのですが、1966年にアトランティック・レコードに移籍した時から転機が訪れます。
さすがはアーメット・アーティガン率いるアトランティックです。
アレサの最も効果的な売り出し方を知っていました。
名物プロデューサー、ジェリー・ウェクスラーはアレサのゴスペルフィーリングを全面に出す方針を取りました。

1867年1月、アトランティックの本社のあるニューヨークではなく、アレサの出生地ナッシュビルと同じく南部のアラバマ州マッスルショールズのフェイム・スタジオでレコーディングが行われました。
本来はメンフィスのスタックス・スタジオでレコーディングされるべきでしたがこの時期、スタックスと対立が起きたためフェイムスタジオでのレコーディングとなりました。
さらに悪いことにレコーディング開始後にアレサの夫でマネージャーでもあるテッド・ホワイトとフェイムのオーナー、リック・ホールとの間に論争が起きてしまい、レコーディングは中断してしまいます。
ウエクスラーはフェイムのリズム・セクションをニューヨークに連れて行ってレコーディングを続行しました。
ウエクスラーのアイデアは当たって第一弾シングル「貴方だけを愛して」はビルボード・ホット100で9位、R&Bでは1位となりました。
また同名のデビューアルバムはビルボード200で2位、R&Bチャートでは自身初の1位となりました。
ここから「レディ・ソウル」「アレサ・ナウ」「ライブ・アット・フィルモア・ウエスト」などと続くアトランティックでの快進撃が始まります。
と書くと華やかな人生と感じるかも知れませんが、実際は想像を絶するようなハードな人生でした。
のちにテッド・ホワイトとはパワハラが原因で離婚することになります。
またアレサは12歳の時に出産し、15歳でも出産しています。4人の子供がいますが、全員父親が違います。
ましてや牧師の娘なのに、という普通では考えられない、一言では言い表せないような大変な人生を送った人なのです。
そういう女性としての苦労や経験が音楽に表れている、となるとこれはもう普通では太刀打ちできません。
アルバムのジャケットがまた趣があります。
25歳とは思えないような、アイドル性無視の達観した表情です。
慈悲深そうな閉じ気味の瞼はまるで観音様のような雰囲気さえ醸し出しています。(勝手な解釈です)
バックのサウンドはシンプルで基本、ドラムとベースとコーラスをベースに歌う感じです。
オーケストラなどのゴージャスなバックよりこのほうが声をじっくり聞けていいと感じる今日この頃です。
バックヴォーカルのキャロリンはアレサの妹でアーマは姉でアトランティック時代には時々クレジットされているのを確認できます。
1967年のリリース時、ローリング・ストーン誌の評価は
「サイドマンの多才さが欠けている。ドラムは力不足、ギターは弱々しく、制作には洗練さが欠けている」というものでした。
しかし、世間の評価は全く違いました。評論家のハズレはよくあることです。
時は流れて、同誌は2003年には「ウーマン・イン・ロック・50エッセンシャル・アルバムズ」で堂々1位に選出しています。
アレサ・フランクリンといえば思い出すことがあります。
若い頃、友達と居酒屋で音楽談義みたいなことをしていたら、隣の席のおじさん達と合流してしまいました。
「今度、真面目にアレサ・フランクリンを聴いてみようかな」
「けっこう、ハイトーンがきつく感じる時があるよね」
「サム&デイヴとかエディ・フロイドみたいなのとか、エタ・ジェームスもいいよね」
などと語っていたら隣の席のサラリーマン風おじさんが語り始めました。
「アレサはなあ、日本で聴く音とアメリカで聴く音は全然違うんだよ」
「アメリカで聴くアレサはものすごく迫力があって深いんだよ」
「どしてなんだかわかるか?」
「電圧が違うからだよ」
「日本の貧相な100ボルトじゃ本当のアレサ・フランクリンの良さはわからないんだよ」
「はあ、そういうもんですか」
とその時は半信半疑ながら、40年近く経った今でも覚えている私なのです。
それはあながち間違いでもなかったのかも知れません。
確かにアレサ・フランクリンはいい音で聴くほど深さが増します。
ちなみにおじさんのオシはアレサ・フランクリンですが、次点でメイヴィス・ステイプルズでした。

アルバム「貴方だけを愛して」のご紹介です。

演奏
アレサ・フランクリン ピアノ、ヴォーカル
スプーナー・オールダム キーボード、ピアノ
ジミー・ジョンソン ギター
チップス・モーマン ギター
トミ^・コグビル ベースギター
ジーン・クリスマン ドラム
ロジャー・ホーキンス ドラム
メルヴィン・ラスティ トランペット
チャールズ・チャーマーズ テナーサックス
キング・カーティス テナーサックス
ウィリー・ブリッジズ バリトンサックス
キャロリン・フランクリン バックヴォーカル
アーマ・フランクリン バックヴォーカル
シシー・ヒューストン バックヴォーカル





曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。
1, Respect リスペクト
(オーティス・レディング)
1965年のオーティスのアルバム「オーティス・ブルー」に収録されていました。
オーティスもシングルカットしてトップ40のヒットとなりましたが、アレサのカバーは見事No.1ヒットとなっています。
ベースが生きています。コーラスが凝っています。ギターもホーンも最高にかっこいいのです。
シンプルながら完全無欠なのです。
*リリース時のものではありませんが、ご参考までに
2, Drown in My Own Tears 涙に濡れて
(ヘンリー・グローヴァー)
レイ・チャールズで有名なスタンダードです。
驚くほど沢山のミュージシャンがカバーしています。
「自分の涙で溺れ死ぬ」、というれ以上の悲しみはない表現です。
(死ぬとまでは言ってない)
ゴスペル風コーラスもいい感じです。
3, I Never Loved a Man (The Way I Love You) 貴方だけを愛して
(ロニー・シャノン)
刻むピアノがいい雰囲気を出しています。
アレサ初の首位獲得となった名曲です。
4, Soul Serenade ソウル・セレナーデ
(カーティス・オースリー、ルーサー・ディクソン)
「自由に飛び立って世界に向かって歌いたい、私の魂のセレナーデを」という歌詞はアレサの心情そのものです。
抑えて抑えて歌うところにソウルを感じます。
5, Don’t Let Me Loose This Dream 夢をさまさないで
(アレサ・フランクリン、テッド・ホワイト)
アレサの歌に対する愛情を歌っています。
ポップに歌うアレサですが深いものを感じます。作曲能力も非常に高いのです。
6, Baby, Baby, Baby ベイビー、ベイビー、ベイビー
(アレサ・フランクリン、キャロリン・フランクリン)
ゴスペル感丸出しで、いかにもアトランティック・ソウルという曲です。
7, Dr. Feelgood (Love Is a Serious Business) ドクター・フィールグッド
(アレサ・フランクリン、テッド・ホワイト)
同名のバンドがイギリスにいました。
シングル向けの曲ではありませんが聞き応えがあって大好きな曲です。
勝手にマディ・ウォーターズ風ブレイクが気に入ってます。
8, Good Times グッド・タイムス
(サム・クック)
アレサにしろオーティスにしろ、ソウル・シンガーのサム・クックへの思い入れはそうとなものだったと思います。
トム・ダウドのアレンジでサム・クック風のポップな感じを抑えてあります。
9, Do Right Woman, Do Right Man 恋の教え
(ダン・ペン、チップス・モーマン)
最初はフェイムスタジオでレコーディングされましたが、セッション中にテッド・ホワイトがトランペット奏者のケン・ラクストンやスタジオ・オーナーのリック・ホールと衝突し、怒ってボツになりました。
(個人的にこの人はとんでもない奴という印象しかありません)
後日、アレサは姉と妹の協力を得てニューヨークでレコーディングしました。
スタジオの機材が違うということで、テープレコーダーの微妙な回転数の違いなど発生し苦労したそうです。
アレサはピアノとオルガンも演奏しています。
このアルバムでも最高ランクの曲、究極のソウル・スタンダードの完全無欠のアレサが歌うのですから論評はいりません。
10, Save Me セイヴ・ミー
(アレサ・フランクリン、キャロリン・フランクリン、カーティス・オースリー)
このアルバムで一番ファンキーなナンバーです。
さすがのキング・カーティスです。
11, A Change Is Gonnna Come ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム
(サム・クック)
この時代のすべてのソウルシンガーはこの曲を歌いたかったのだと思います。
この曲をカバーするシンガーはたくさん現れますが、みなさんただサム・クックに似せて歌っては申し訳ない、という雰囲気さえ感じるのです。
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