マイルスの音楽の歴史でいくつかのターニングポイント、というかマイルストーンと言われるものがあります。
その一つが1970年の歴史的大作「ビッチズ・ブリュー」です。ここで電化マイルスは一つの到達点に至りました。
このアルバムは時代を超えて残り続け、2003年には100万部を超えたそうです。ロック、ポップスの世界で100万部はそれほど珍しいことではありませんが、このマイルスのような一般ウケしないジャズのアルバムでこの数字は大したものです。
しかしこの時点で「ビッチズ・ブリュー」がエレクトリック・マイルスの最終地点ではありませんでした。
たぶんマイルスは自らの最終地点などとは考えても、思ってもいないことでしょう。
限界を感じるのは終わる時です。
そこで次なる表現を模索することになります。
ロックに興味を持ちライブハウス、フィルモア・イーストでスティーヴ・ミラー・バンドやニール・ヤング・アンド・クレージー・ホースの前座として出演したり、1970年ワイト島フェスティバルにロックバンドに混じって60万人の前で演奏したりしました。
この時期のライヴの模様は「Miles Davis At Fillmore」や「Black Beauty : Miles Davis At Fillmore West」で残っています。
スタジオアルバムとしては1971年2月24日リリースの「ジャック・ジョンソン」となります。
マイルスのボクシング好きは有名ですが、実在した偉大なボクサーのドキュメント映画のサウンドトラックです。
というと「ロッキーのテーマ」みたいなフレーズが出てきそうですが、このアルバムは全くそう言う気配はありません。
そう言う表向きのスタイルではなく、ボクサーの心の中を表しているような音楽です。
LPでいうとA面1曲、B面1曲と言う作りはシングル・ヒットやラジオでのオン・エアーなどは全く考えていない感じです。
ここに現れたサウンドはその時点では新しく今までのジャズとは異質のものでした。
ただし数年後にはこの手のサウンドはジャズの世界でも当たり前になります。
今ではジャズの歴史においても重要作で名盤となっています。
オリジナルジャケットはこれです。
このアルバムの成立過程がなかなか面白いものです。
(以下、個人的な妄想による成立過程です)
ビル・ケイトン(ボクシング・プロモーター)
“マイルス、あんたボクシングが好きなんだって聴いたけど。”
マイルス・デイヴィス
“ああ、好きだよ。あんたよりはな。”(こういうことを言うヤツです)
ビル・ケイトン
“ジャック・ジョンソンは好きかい?”
マイルス・デイヴィス
“好きだよ。周りのやつらはあんたを含めて大嫌いだけどな。”(こういうことを言うヤツなんです)
ビル・ケイトン
“今度、ジャック・ジョンソンのドキュメンタリー映画を企画しているんだ。音楽を担当してくれないか。”
マイルス・デイヴィス
“1万ドルや2万ドルのはした金じゃ俺は動かせねえよ。”
ビル・ケイトン
“実は予算が2,000ドルしかないんだけど、なんとか考えてくれない?”
マイルス・デイヴィス
“・・・しょうがないな。普通だったら話にならないところだが、今は金が欲し・・じゃなかった、ここはジャック・ジョンソンのためだ。やってやるよ。
こんなバイトのパシリみたいな金額でやったなんて他では一切バラすんじゃねえぞ。”
テオ・マセロ(コロンビアの社員、音楽編集のプロ、マイルスと付き合える数少ない白人)
“はいもしもし、こちらテオ。あっマイルスさん、ご無沙汰してます。何か御用ですか。”
(嫌な予感がするな)
マイルス・デイヴィス
“いい話と悪い話があるんだけど、どっちから聞きたい?”
テオ・マセロ
(うわっ、きたよ)“いい話だけで結構ですが・・・”
マイルス・デイヴィス
“今度ボクシングのドキュメンタリー映画のサントラ作ることになったんだよ。”
テオ・マセロ
“おめでとうございます。では私はこれで”(電話を切ろうとする)
マイルス・デイヴィス
(すかさず)“ちょっと待て、それで2週間しか時間がねえんだ。すぐに試写を見て、あんたのやり方でいいからささっと作ってくんない。”
テオ・マセロ
(ブルーな声で)
“うーん、それじゃあ今からメンツ集めてスタジオ借りて曲を仕上げるなんてわけにはいかんですわな。どうしてもって言うなら去年に録り貯めたテープがあるから、それを切った貼ったの編集をして体裁を整えてみるしかないですよ。”
マイルス・デイヴィス
“ああ、それでもいいよ。この俺様が納得できるものができるならな。”(なんか勝手に立場を逆転させてます)
テオ・マセロ
“もう、いつにもましてパワハラ、モラハラ上等の闇将軍ぶりですな。あんたホンマは鬼ですか?”
マイルス・デイヴィス
“あっそうだ。金額も決まってんだよ。全部込みで1,000ドルで仕上げてくれ。じゃあね。”(人の話は聞いてません)
テオ・マセロ(ひとりごと)
“俺、一応コロンビアの社員でサラリーマンなんだけどなあ。上になんて報告しようかな。1971年とはいえコンプライアンスも何もあったもんじゃないな。
でも去年のマイルスは何かが取り憑いたようにすごいサウンドを出していて、録音テープはいっぱいあるんだ。あれをこのまま埋もれさせるには勿体無いとは思っていたところだ。上手く繋げば面白いものができそうだ。”
(以上、妄想終わり)
と言うことで、1970年にスタジオで試行錯誤していた演奏テープを元に、テオ・マセロが編集をしてアルバム「ジャック・ジョンソン」を仕上げます。
幸いなことにテオ・マセロは追い込まれるほどに才能を発揮できるタイプだったようです。
編集の才を生かしてマイルス・デイヴィスのサウンドトラックを作り、新しいアルバムとしてもリリースしました。
この斬新なアルバムは高評価をもって受け入れられました。
ここに出てくる予算総額2,000ドル、テオ・マセロの仕事代1,000ドルは本当で、実際の金額です。
物価が安かったとはいえ円安の今で換算しても総額45万円弱です。
その後も50年以上にわたって商品化されつつけていることを考えると費用対効果の数字はものすごいことになりそうですね。
この時代のジャズミュージシャンのギャラと言うのはマイルスですらこの程度ですから、ほとんどのミュージシャンはは毎日のようにクラブで演奏していないとやっていけなかったというのもうなづけます。
なんともすごい時代です。
このアルバムも前作の「ビッチズ・ブリュー」とは肌触りが全く違うサウンドとなっています。
音はハード・ロックとファンクの融合と言われた激しいサウンドです。
ただし最初からハードロック脳で聞くとその時代のジェフ・ベック・グループとかレッド・ツェッペリン、グランド・ファンク・レイルロードに近いかと言われれば、ほんのちょっとと言うところです。
同じくファンク脳で聞けばジェームス・ブラウンとかスライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンにつながるかと言えば、ちょっと香る程度です。
そこはマイルスなので何を演ってもオリジナルに持っていきます。
なぜか聞くたびに新しい顔が見えてくる味のあるアルバムです。
このアルバムを聴く、味わうコツはジャズの云々など細かなことを考えてはいけません。
「Right off」はまず自分がボクサーとしてリングに上がった状態として聴き始めることをおすすめします。
人生の大一番に立ったとか、大勝負に出た状態でも一緒です。
そうすると見事なまでに自然と心に入ってきてシンクロする音楽になります。
「Yesternow」はボクサーの試合に向けて日々の鍛錬を表しています。
腕立て、腹筋、ランニングなどの地味なトレーニングの積み重ねの日々が見えるようです。
19分をすぎると試合前日の計量をパスした状態です。
最後は控え室で試合が始まるのを待っている自信と不安の入り混じった状態ですが、リングに向かうときはいつも自分に向かってこう言い聞かせます。
「私はジャック・ジョンソン。世界ヘビー級チャンピオン。
私は黒人です。彼らは私にそれを決して忘れさせませんでした。
私は黒人です、大丈夫です!彼らにそれを決して忘れさせません!」
そして、覚悟してリングに向かいます。
評論家の評価は高く、「ジャック・ジョンソンこそエレクトリック・マイルスの真のハイライト」とも言われています。
この時期マイルスはロックに興味を持っていました。ジミ・ヘンドリクスとの共演も構想していましたがジミは他界してしまい、叶いませんでした。
ジミの葬儀はマイルスが出席した最後の葬儀だったと言われています。
思いを馳せて聴いていただくためにボクサー、ジャック・ジョンソンについて書いておきます。
本名はジョン・アーサー・ジョンソンといい1878年3月31日生まれ、1946年6月10日に69歳で亡くなっています。
ジム・クロウ法などがあり人種差別のひどかった時代に黒人初のヘビー級チャンピオンになりました。
白人女性を妻にしてレストランやクラブも経営しました。
そういったことで当然、なんだかんだの標的となり、言いがかりのような罪で懲役刑を宣告されます。
数年間、国外逃亡などもしていましたが最終的には服役して刑期を終えました。
2018年になってシルベスター・スタローンの推薦活動により、トランプ大統領から恩赦を受けています。
詳しくはこちらから
アルバム「ア・トリビュート・トゥ・ジャック・ジョンソン」のご紹介です。
演奏
マイルス・デイヴィス トランペット
スティーヴ・グロスマン ソプラノサックス
ジョン・マクラフリン エレキギター
ハービー・ハンコック オルガン
マイケル・ヘンダーソン エレクトリック・ベース
ビリー・コブハム ドラムス
ブロック・ピーターズ ナレーション
Yesternow の14:00から23:55まで
マイルス・デイヴィス トランペット
ベニー・モウピン バスクラリネット
ジョン・マクラフリン エレキギター
ソニー・シャーロック エレキギター
チック・コリア エレクトリック・ピアノ
デイヴ・ホランド エレクトリック・ベース
ジャック・ディジョネット ドラムス
制作
テオ・マセロ 不明のオーケストラの指揮、プロデュース
スタン・トンケル エンジニアリング
マイルス・デイヴィス 作曲
曲目
*参考までに曲ごとにyoutube音源をリンクさせていただきます。(2曲なので)
1, Right Off ライト・オフ
スライ・アンド・ザ・ファミリー・ストーンの「シング・ア・シンプル・シング」のフレーズに基づいて作られていると言う解釈があります。
わたくし的にはジェフ・ベックの1975年のアルバムブロウ、バイ・ブロウの「フリーウェイ・ジャム」がシンクロします。
ジェフ・ベックはこのアルバムに相当影響を受けています。
激しく進んでいくサウンドは10分を超えたところで一度クールダウンします。そしてまた徐々に熱気を帯びていき、18:30からギターのフレーズでたたみかけバンドを引っ張っていきます。
やっぱり主役はギターのジョン・マクラフリンです。
2, Yesternow イエスターナウ
基本はジェームス・ブラウンの「セイ・イット・ラウド – アイム・ブラック・アンド・アイム・プラウド」のベースラインをチョッとアレンジしたものだそうです。
なるほど、でも直球のファンキーさではJBにはかないません。
12分を過ぎたところで「イン・ア・サイレント・ウェイ」が登場して思わずニヤリです。
最後はブロック・ピーターズのナレーションで終わります。
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