「ポール・マッカートニー版アフター・ザ・ビートルズの挑戦 : ウイングス、離陸開始」Band On The Run : Wings / バンド・オン.ザ・ラン : ウイングス

 ウイングスはバンドの中心人物、ポールマッカートニーがビートルズ解散後に結成したバンドです。

ポールは才能あふれる器用な人で作曲技術や楽器演奏においてビートルズの中でも1番幅広い人でした。
でも1060年代の終わりとともに、ビートルズは解散します。

直後のソロアルバム「マッカートニー」はプライベート志向の落ち着いた感じで、さほど評判もよくありませんでした。
今思えばビートルズ時代のソングライティングがすごかったので、期待値が高すぎたのかも知れません。
そういえばジョンも解散直後のソロアルバムはプライベート志向でした。

おまけに映画「レット ・イット・ビー」の中での態度も相まって、世間ではポールがビートルズ解散の原因と思われていました。

ポールに対する一般的なイメージが悪くなっていた時期です。

しかしポールの創作意欲は留まることなくソロアルバムを2枚リリースしました。そしてビートルズ解散から3年目、今度はバンドで勝負に出ます。
マッカートニーのソロではなく、この「バンド・オン・ザ .ラン」ではバンド=ウイングスということを前面に出しました。

ビートルズのメンバーで解散後にちゃんとした名前のあるメンバー固定のバンドらしいバンドを組んだのはポールだけです。
(プラスチック・オノ・バンドは固定メンバーがジョンとヨーコだけですし)

アルバム制作にあたり、気分一新のためナイジェリアでのレコーディングを企画し、アフリカに向かいます。
レコーディングは、直前にメンバー2人に脱退されたとか、行ったらスタジオが完成していなかったとか、テープや歌詞を書いたメモを強盗にとられたとか、レコーディング中にも嵐により停電があったりと散々だったみたいです。
そういう苦労もあって、と言いたいところですがアルバムにはアフリカ風味はほとんど感じられません。

そして1973年のこのアルバムで上昇気流に乗り、70年代を席巻しました。

音楽情報ツールはFMラジオがメインの時代です。ラジオではジョンより、ジョージより、圧倒的にポールの曲がオンエアされていた印象があります。

そのウイングスも勢いは1978年の「ロンドン・タウン」あたりまでがピークを続けて1979年の「バック・トゥ・ジ・エッグ」を最後に1980年になるとまたソロに戻ります。

80年代のポールはスティービー ・ワンダーやマイケル・ジャクソンとデュエットしたり、演出過剰なライブパフォーマンスをしたりであまり好きにはなれませんでした。
が、ビートルズで音楽の可能性を広げ「アイム・ダウン」や「ヘルター・スケルター」を歌ったポールは紛れもなくロックでした。そして稀代のメロディメーカーとしてずっと音楽活動を続けています。
それで充分です。

今では様々な記録を塗り替えて歴史を作っていったザ・ビートルズメンバーも今や1942年6月18日生まれのポール・マッカートニーと1940年6月7日生まれのリンゴ・スターの二人となってしまいました。

アルバム「バンド・オン・ザ・ラン」のご紹介です。

演奏
(アフリカ ナイジェリアのレコーディング直前に脱退があったため正式クレジットは3人のみ)

・ポール・マッカートニー
ヴォーカル、ギター、ベース、ピアノ、ドラムス、パーカッション 

・リンダ・マッカートニー
ヴォーカル、ピアノ、オルガン、キーボード、パーカッション 

・デニー・レイン
ヴォーカル、ギター、ベース、キーボード、ヴォーカル 



曲目
*参考としてyoutube音源をリンクさせていただきます。


1,    Band On The Run バンド・オン・ザ・ラン

アフリカは感じないまでもヨーロッパではない雰囲気で始まります。途中から転調してロックっぽくなります。こういう流れは得意ですね。


2,    Jet ジェット

テッパン売れ筋路線です。この時代を感じます。


3,    Bluebird ブルーバード

これもお得意の口ずさみソングです。


4,    Mrs Vandebilt ミセス・ヴァンデビルド

こういうのをイギリスっぽいと感じます。後の「心のラヴソング」につながります。


5,    Let Me Roll It レット・ミー・ロール・イット

スローな曲ですが引きずる様な感じでバラードではありません。あまくもないし。でもこの曲があってアルバムの幅が出るかな。割と好きな曲です。


6,    Mamunia マムーニア

オルガンが印象的なフレーズで始まり、ボーカルの掛け合いとコーラスが面白いです。


7, No Words ノー・ワーズ

ビートルズの「ワーズ・オブ・ラヴ」を思い出します。


8,    Picasso’s Last Words (Drink To Me) ピカソの遺言

ポールにしてはアメリカンな感じの曲で始まり、ジェットが出てきてからはいろんな曲とアレンジで遊びまくり、ミセス・ヴァンデビルトで締め括り。


9, Nineteen Hundred And Eighty Five 1985年

1085年はとっくに過ぎ去りましたが、1985年に生き残った人はいないだろうと歌います。最後はオーケストラで盛り上がり、サージャント ペパーズ 状態。で最後にちょっとバンド・オン・ザ ・ランを持ってくるあたりがポールらしいサービス精神なのです。


以上がオリジナルアルバムの収録順です。
なにはともあれ最上級のメロディを持つ、やたらと売れたアルバムでした。
ウイングスは軌道に乗り、次作「Venus And Mars」に繋がっていきます。これも完成度の高いアルバムです。

思い出すのは1970年代後半、日本のロックファンの間では「やたらと売れているけどポール・マッカートニーなんてロックじゃない、単なるポップスだ」 という風潮が出来上がりました。
音楽誌にロッキング・オンや音楽専科などがありましたが大体においてそういう論調です。
ビートルズでもジョン・レノンはロックンローラーで、ポールは金儲けの好きなポップスターみたいなくくりで差別的に語られていました。
世の中のロックファンはハードかパンクでないとロックではなかったのです。そういうロックとそれ以外という2局化したロック原理主義みたいな風潮が当時のロックファンにはありました。
今思えばなんとも微笑ましい限りですね。

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