ロック史上最重要の曲「ライク・ア ・ローリング・ストーン」を擁したボブ・ディランの「追憶のハイウェイ61」1965年リリースです。
ここでフォークソングを歌っていたボブ・ディランがロックなアルバムを作り上げました。
前作よりエレクトリックバンドスタイルを半分くらい取り入れてきましたが、ここでは従来のギター弾き語りフォークソング の世界とは完全に縁を切りました。
このアルバムの象徴、「ライク・ア ・ローリング・ストーン」は
2004年 ローリング・ストーンが選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500 第1位
2005年 イギリス アンカットが企画した「世界を変えた曲、映画、テレビドラマ」第1位
1998年 ロックの殿堂 「ロックの歴史500曲」に選出 グラミー殿堂賞
なんかディラン好きという自分が恥ずかしくなるくらいの凄い評価です。
リリース当時、1965年の日本はまだ音楽の情報が少なく、伝わってくるのが遅い時代でした。
尚且つ日本では1960年代の終わり頃からフォークブームがピークとなりますので弾き語り時代のディランの影響が長く続いていました。
ボブ・ディランの「風に吹かれて」も「ライク・ア・ローリング・ストーン」も同時に入ってきた印象です。(日本の片田舎にいたのでで余計にそう感じたのかもしれません)
詩は今までのように恋愛や社会の不条理などを歌う、ということをやめて、個人の内面に向かっています。
アルバムタイトルにもなっている「追憶のハイウェイ61」に至ってはブルーズ、ゴスペル 、アメリカーナ などがごっちゃになった世界を疾走しながら叩きつけるように歌います。
歌詞に出てくるジョージア・サムとはブルーズマンのブラインド・ウィリー・マクテルの別名らしいです。
ついでに言っておきますと、のちの1983年のアルバム「インフィデル」時に「ブラインド・ウィリー・マクテル」という素晴らしいバラードを作り、“誰もブラインド・ウィリー・マクテルのようには歌えない”と歌います。(なぜかオリジナルアルバム「インフィデル」には収録されなかったのに、この時期一番評価の高い曲です)
なお、ハイウェイ61号線とは「ブルーズ・ハイウェイ」と呼ばれ、61号線と49号線の交差する「クロスロード」が伝説のロバート・ジョンソンが悪魔に出会って契約した場所だそうです。
<ここでちょっと自分語りをします。>
ボブ・ディランの歌詞には「ライク・ア・ローリング・ストーン」やアルバム「血の轍」に収録の「イディオット・ウインド」など強烈に女性をこき下ろしたような歌詞があります。
これについてある日、ふとわかった気がしたのです。
ブルーズの発祥はアメリカ南部のプランテーションです。
そこでは黒人奴隷から搾取する地主(白人)に相当な不満がありました。
しかし直接それを歌にして口にすると命の保証はありません。というよりなんの躊躇もなく殺されるような時代です。
なのでそういう不満を歌う場合には同じ立場の黒人女性に例えて「悪い女」として歌にしていました。
もちろんボブ・ディランは白人ですので、しかもアメリカ人で表現の自由は保証されている状態なのですので、そういうふうにする必要は全くありません。(もしかしたらユダヤ系ということで差別の経験があったのかもしれません)
でもブルーズに敬意を表するためにあえてそういう手法を取り入れてみたような気がしています。
しかもそれは聞いている人にも基本はブルーズだ。そこに辿り着けと言っているように感じるのです。
(以上、個人の感想です)
サウンドは、のちの2015年にリリースされた「ブートレッグ・シリーズ第12集カッティング・エッジ」で明らかになりましたが、この時期はかなりのテイク数があります。
一聴すると適当にディランが歌い始めるのに合わせて伴奏しているようで、バンドとして練り込んでいないようにも感じますが違うんですね。
そういう部分も含めて、不思議といつまで経ってもあまり古臭く感じないものになっています。
近年、ディランは2016年にノーベル文学賞を受賞し世界中で話題になりました。
日本にボブ・ディラン研究家ともいうべき、筋金入りのディラン通でディランファンの西村位津子さんがいらっしゃいます。
(彼女はホームページで「How To Follow Bob Dylan」というサイトを作っておられました。最近はほぼ更新がなく、代わりにTwitterで頻繁に情報発信されています。世界中のディランのツアーを追いかけ、ディランを通じて世界中にお知り合いがいらっしゃるようです。)
何かで見たのですが、その西村さんがインタビューに答えていました。
「これで日本でもかなりの数の『にわかディランファン』が増えたようですが、どう感じていらっしゃいますか?」との質問に
「いや、私も最初は『にわかファン』でした。これをきっかけにディランの素晴らしさに触れて、よりファンになっていただければいいと思います」とおっしゃっていました。
さすがです。達観しています。平行目線でやれ「トーシロ」だの「付け焼き刃」だの「えせ」だのという思いは少しも持っておられないのです。
音楽ファンとはこうありたいものです。
アルバム「追憶のハイウェイ61」のご紹介です。
演奏
ヴォーカル、ギター、ハーモニカ、サイレン ボブ・ディラン
ギター マイク・ブルームフィールド、チャーリー・マッコイ
ベース ハーヴェイ・ブルックス、ラス・サバカス
ドラムス ボビー・クレッグ
ピアノ、オルガン ポール・グリフィン、アル・クーパー、フランク・オーエンス
曲目
*参考としてyoutube音源をリンクさせていただきます。
1, Like A Rolling Stone ライク ・ア・ローリング・ストーン
冒頭のスネアの1音で世界が変わった曲です。
言っても陳腐化するのでこれ以上言えません。
2, Tombstone Blues トゥームストーン・ブルース
性急な感じで突っかかる様に進んでいきます。なぜかかっこいいです。
3, It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry 悲しみは果てなく
ブルーズマナーの曲です。ちょっと落ち着けます。
4, From A Buick-6 ビューイック6型の思い出
これもブルーズスタイルです。歌詞は難解でタイトルと結びつきません。
5, Ballad Of A Thin Man 痩せっぽちのバラッド
このアルバムで重要な曲です。
6, Queen Jane Approximately クイーン・ジェーン
このアルバム中ではメロディが綺麗です。
7, Highway 61 Revisited 追憶のハイウェイ61
サイレンによる緊迫感が凄い、歌詞が疾走しています。
8, Just Like Tom Thumb’s Blues 親指トム のブルースの様に
なるほど、ディラン は女性のことを歌う時は綺麗なメロディになります。
9, Desolation Row 廃墟の街
めくるめく叙事詩。チャーリー・マッコイがアコースティックギターでこれ以上ないくらいのフレーズを紡いでディラン とデュエットします。
おまけ
なぜ、ディラン はフォークの世界で大成功していたのに1965年「ブリング ・イット・オール・バック・ホーム」あたりからフォークソングから離れたのでしょうか。
フォークの世界での表現をすることにはもう限界を感じ、もっと新しいことに挑戦したくなった。という一般的な説があり、基本的にはそうだと思います。
それとウディ・ガスリーとかの尊敬する先人たちもそうであったように、フォークソングはどうしても時代的にいってコミュニスト、社会主義と近くなってしまう、その方面に利用されやすくなる。
それは嫌だ、自由な表現者であり続けたいということがあったのではないかと推測します。
ディランは最初こそウディ・ガスリーというフォークシンガーを師として目指しましたが、元々はビートルズのジョンやポールと同じくエルヴィス・プレスリーに憧れたロックンロール大好き少年でもありました。
そしてエルヴィス・プレスリーやビートルズ、もしかしたらそれ以上に若者に影響を与えたアーティストになりました。
それは
・ちゃんとした歌唱方法など必要ない、自分らしく歌えば良い
・自分の言いたいことを言って、やりたいようにやって世界中に認められる
・歌とギター1本で世界と戦える、世界は変えられる
というなんとも厨二病が喜びそうなことを実際に証明して見せてしまったのです。
それは世界中の、スポーツの才能にはとっくに限界を感じ、学問の追求するにはおのれの脳の容量不足を認めざるをえなかった10代の若者に新たな希望を与えました。(とっても偏見です、ただの自分のことです)
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