

キング・オブ・ソウルの異名でソウル・ミュージック史上燦然と輝く巨人オーティス・レディング。
オーティスとサザン・ソウルの大躍進のきっかけとなったデビュー・アルバムのご紹介します。
1964年3月にリリースされ、R&Bチャートで20位、ビルボードホット100で85位とまずまず快調な滑り出しでした。
これを足掛けに、ここからオーティス・レディングはサザン・ソウルの象徴的な存在になります。
アルバム制作はSTAX Record(スタックス)の子会社Volt Record(ヴォルト)で行われAtlantic Record(アトランティック)系列のATCO(アトコ)からリリースされました。
この状況からして当時スタックスは販売網を持たない駆け出しの弱小レーベルだったことがわかります。
オーティスのデビューを機にスタックスは大躍進を続けサザン・ソウルの象徴的なレコードレーベルとなっていきました。
スタックスが輩出した代表的なアーティストはウィルソン・ピケット、サム・アンド・デイヴ、エディ・フロイド、アーサー・コンレイなどがいます。
ちなみに今あげたのはみんなアトランティックと契約してスタックスでレコーディングしたアーティストです。
生粋スタックス系からのアーティストとしては、オーティスを筆頭にジョニー・テイラー、ウィリアム・ベル、ルビー・ジョンソン、ガス・キャノンなどがいます。
と書いていて思ったのはスタックス系はオーティスを除いて若干マニアックなアーティストになっています。
アトランティック系はメジャー・レーベルだからこその宣伝、広告費などが豊富で、それが売り上げにつながったのか、アトランティックのスタッフの方がミュージシャンを見る目があったのか・・・などと考えてしまうのでした。
(もちろんマニアックでも素晴らしいミュージシャンたちです)
オーティスといえば今やサザン・ソウルの代名詞的存在です。
最大のヒットといえば死後にリリースされた(飛行機事故の直前にレコーディングしていました)「ドック・オブ・ザ・ベイ」となります。
このナンバーはサザン・ソウルっぽくないと言われればそれまでですが、メロディがポップでそこに情感あふれたオーティスの声が乗るためにポップスファンにも受け入れられ最大のヒットとなりました。
それでオーティスを知った人も多かったのですが、すでに不運な事故で亡くなっており、一躍神格化されることにも繋がります。
しかしオーティスはそれまでに、活動期間としては4年ながらすでに6枚のアルバムをリリースしていました。
R&B、ソウルの世界ではサザン・ソウルの名門といわれたスタックスの顔でもあり、その温厚かつ真摯な姿勢は有名でした。
(以前に紹介した「オーティス・ブルー」も合わせてご参照ください)
オーティスの素晴らしいところはサム・クックやレイ・チャールズなどの大先輩の持ち歌のカバーはもちろんのこと、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」やビートルズの「デイ・トリッパー」なども取り入れる柔軟さがありました。
そして1967年にはモントルー・ポップ・フェスティバルに出演し、そのパフォーマンスはロックファンの間でも知られることになります。
しかし残念なことに同年にオハイオ州クリーヴランドからウィスコンシン州マディソンに向かう途中、飛行機事故で亡くなってしまいました。
スタックスとしては大きな痛手となりますが、追い打ちをかけるように翌年にはアトランティックとの配給契約が解消されてしまいます。
その後は新しいオーナー、アル・ベルのもとで運営を続けますが1975年末には破産に陥り強制閉鎖となってしまうのでした。
スタックス・レコードというレーベルの寿命は短かったものの、その絵お協力医は黒人音楽のみならずロックやポップスの分野にもモータウンと同じくらい多大なる影響を与えました。
そのきっかけとなったのがオーティス・レディングであり、このデビューアルバムです。
アルバムタイトルのナンバーはニューオリンズのアラン・トゥーサンがペンネームのナオミ・ネヴィル名義で作曲した「ルーラー・オブ・マイ・ハート」をアレンジしたものです。
最初はオーティス作となっていてのを著作権で訴えられてナオミ・ネヴィル表記になったと記憶しています。
オーティスも駆け出しの頃だったのでその辺の気配りができていなかったのでしょうか。
もしかしたら南部気質でただおおらかすぎただけだったのかもしれません。

デビューの経緯としては
1962年当時オーティスはパット・T・ケイク・アンド・ザ・マイティ・パンサーズのメンバーとして、アメリカ南部のチトリン・サーキットを回っていました。
ヒルビュー・スプリングス・ソーシャル・クラブというところでのタレント・コンテストでオーティスは15回連続で優勝したりもしています。
オーティスのデビューに絡んでくるギタリストのジョニー・ジェンキンスと共にタレント・ショー「ティーンエイジ・」パーティー」で優勝したのをきっかけに、ザ・パイントッパーズというこの時にはすでに有名だったバンドに加入します。
オーティスはこの時期、後にカプリコーン・レコードを設立するフィリ・ウォルデンや諸規模レーベルのコンフィデレート・レコードのボビー・スミスとも出会っています。
そこでオーティス・アンド・ザ・シューターズ名義で2枚ほどシングルをリリースしますがさほど評判にはなりませんでした。
ある時アトランティック・レコードの代表、ジョー・ガルキンがパイントッパーズの花形ギタリスト、ジョニー・ジェンキンスに興味を持って、レコーディングのためメンフィスのスタックス・スタジオに送ることを提案します。
ジェンキンスは運転免許を持っていなかったので、スタジオに向かう運転手を務めたのがオーティスだったそうです。
19歳のオーティスはマネージャー兼運転手みたいなこともやっていたようです。
ジェンキンスはブッカー・T&ザ・MG’sとセッションし、予定より早く終わったためオーティスは2曲演奏するチャンスをもらいました。
最初「ヘイ・ヘイ・ベイビー」をレコーディングしましたが、スタジオ責任者のジム・ステュアートはリトル・リチャードに似過ぎていると思い、特に新鮮さを感じませんでした。
次に「ジーズ・アームズ・オブ・マイン」を歌いました。
ここでプロデューサーのジム・ステュアートはオーティスの才能に気づきました。
「みんな帰ろうとしていたが、ジョー・ガルキンがオーティスのプレイバックを聴くようにと強く主張した。このバラードには何か特別なものがあった。彼は本当に魂を込めて歌っていた」
と述べています。
これでオーティスはスタックスと契約して、これが最初のシングルとなりました。
A面「ジーズ・アームズ・オブ・マイン」、B面「ヘイ・ヘイ・ベイビー」で1962年10月にリリースされ、翌年の3月にチャートインしました。
半年近く経って人気が出るとかはこういう時代ならではです。
最終的には80万枚を売るヒットとなりました。
オーティスのデビューアルバムは1962年と1963年のセッションでレコーディングされています。
1963年6月には「ザッツ・ホワット・マイ・ハート・ニーズ」と「メアリーズ・リトル・ラム」がレコーディングされ二枚目のシングルカットとなりますが、これは全く売れませんでした。
しかし評論家のロブ・ロウマンは著書「Soulsville, USA: The Story of Stax Records」でこのシングルについて
「オーティスは、ファイヴ・ブラインド・ボーイズ・オブ・アラバマのアーチー・ブラウンリーを彷彿とさせる、荒々しく情熱的なゴスペル・ボイスで歌っている」、さらに「最初の曲のエンディングは、レディングが「そのスタイルで録音することを選んでいれば、素晴らしいゴスペル歌手になっていただろう」
と書いています。
9月にレコーディングされたアルバムタイトル曲は前述の通りアーマ・トーマスの「Ruler of My Heart」(ナオミ・ネヴィル作)に似てい流ことから著作権問題を引き起こしますが、ビルボードホット100で60位となるヒットとなりました。
ロブ・ロウマンは
「『ペイン・イン・マイ・ハート』では、オーティスのダイナミックなコントロールが前面に出ており、彼は声をホーンのように使い、音量を上げたり下げたり、音節を飲み込んだり、『heart』という言葉にいろんな表情をつけている。…これは、商業的にも美的にも、オーティスにとってこれまでで最も成功した作品だった」
と述べています。
1964年3月17日にアルバムはリリースされました。
壇上で演説しているようなジャケットもまた重厚でいい感じに仕上がっています。
多くがスローな曲で構成されているこのアルバムはダンスの需要が高い音楽界では難しいのでは・・・という前評判でしたが、ビルボードのR&Bチャートで20位、ビルボードホット100で85位を記録しました。
Allmusicの評論家ブルース・エダーは回顧レビューでこのアルバムに5つ星中4つ星として、
「このアルバムはミック・ジャガーやイギリスのその他多くの白人ソウルシンガー志望者にとって事実上のロードマップだった」
と評し、
「ヘイ・ヘイ・ベイビー」にはハードロックの要素を見出した。「ユー・センド・ミー」については「サム・クックの模倣に終わることなく自由にアレンジしている」
と称賛しました。
(すいませんが、演奏と歌に勢いはあるものの「ヘイ・ヘイ・ベイビー」にハードロックの要素を見出す、はちょっと言い過ぎでは・・・と個人的には思っとります。)
マイナス点としては、歌詞について
「後の録音と比較すると抑制的で、『セキュリティ』、「ジーズ・アームズ.オブ.マイン』、『ザッツ・ホワット・マイ・ハート・ニーズ』を除いて、やや印象に残らない」
と批判的です。
ブルース・エダーは最後に
「レディングは驚くべき力、エネルギー、大胆さを放っている」と締めくくっています。
ここからサザン・ソウルの名門、スタックスと不世出の声を持つオーティス・レディングの快進撃が始まるのでした。

アルバム「ペイン・イン・マイ・ハート」のご紹介です。

演奏
- オーティス・レディング
ボーカル - ブッカー・T・ジョーンズ
オルガン、ピアノ - スティーヴ・クロッパー
ギター、ピアノ - ジョニー・ジェンキンス
ギター - ドナルド・ダック・ダン、ルイス・スタインバーグ
ベースギター - アル・ジャクソン・ジュニア
ドラム - ウェイン・ジャクソン
トランペット - バッキー・アクストン
テナーサックス - フロイド・ニューマン
バリトンサックス


曲目
*参考までにyoutube音源をリンクさせていただきます。
1.Pain in My Heart ペイン・イン・マイ・ハート
(ナオミ・ネヴィル)
R&Bにワルツを合わせたようなリズムにいきなり素晴らしいオーティスの声が炸裂します。音楽誌キャッシュ・ボックスは「ファンキーなメンフィスサウンドのブルースで、心温まる演奏がされている」と評しました。
2. The Dog ザ・ドッグ
(ルーファス・トーマス)
作者のルーファス・トーマスは1917年生まれ、メンフィス出身のR&B。ファンク、ソウル、ブルーズの世界では有名な人です。
1930年代にタップダンサー、ヴォードヴィル芸人、司会者でキャリアをスタートさせ、DJもレコーディングもこなすというマルチタレントでした。
「世界最年長のティーンエイジャー」と言われ、ソウルの歌姫カーラ・トーマスは娘です。
彼の作品には「ウォーキング・ザ・ドッグ」、「ドゥー・ザ・ファンキー・チキン」などがあります。
(などと書いていて思わず「濃いなあ」と思ってしまうのでした。これですもん)

(ジョージ・クリントンの原型のような気がします)
ソロのところだけロックンロールのリズムでなくなるのが面白いところです。
3. Stand by Me スタンド・バイ・ミー
(ベン・E・キング、ジェリー・リーバー、マイク・ストローラー)
オリジナルに比べてポップス的要素がなくなっていますが、サザン・ソウルのシンプルで粋なところがオーティスらしいアレンジです。
4. Hey Hey Baby ヘイ・ヘイ・ベイビー
(オーティス・レディング)
スタックスで最初にレコーディングしたナンバーです。リトル・リチャード直伝スタイルです、スティーヴ・クロッパーのロックなギターソロが聴かれます.
5. You Send Me ユー・センド・ミー
(サム・クック)
オーティスがサム・クックをお手本にしているのは周知のことですが、ここではただ真似するだけに終わらず、オリジナリティを出そうとしているのが伺われます。
もちろんこちらも名演です。
オリジナルです。
6. I Need Your Lovin’ アイ・ニード・ユア・ラヴィン
(ドン・ガードナー、クラレンス・ルイス、ジェームス・マクドゥガル、ボビー・ロビンソン)
1962年にドン・ガードナーがディー・ディー・フォードと組んでヒットさせたR&Bです。
作者にニューヨークのファイアー・エンジョイ・レーベルで有名なボビー・ロビンソンの名もあります。
途中一度終わって、また始まるフェイク・エンディングもやってくれます。
オリジナルです。
7. These Arms of Mine ジーズ・アームズ・オブ・マイン
(オーティス・レディング)
最初のレコーディングセッションでの2曲目です。この曲でアトランティック・レコードの社長の心を捉えました。
この曲ではギターはジョニー・ジェンキンス、ハウスバンドのギタリスト、スティーヴ・クロッパーはピアノを弾いています。
確かにところどころで出てくるトレモロギターはテレキャスターの音ではありません。
8. Louie Louie ルイ・ルイ
(リチャード・ベリー)
オリジナルはリチャード’ベリー・アンド・ザ・ファラオズによる1957年のヒット曲です。カリブ海とかキューバあたりを連想させるリズムです。ロックンロールからロックへの発展で影響を与えたとの見方もあります。
恋に悩む船乗りがバーテンダーに恋人の元へ帰りたいと嘆く一人称の物語を語っています。
昭和の日本では太川洋介さんというアイドルが同タイトルの歌を歌っていたのであまりいいイメージがありません。(本編とは関係ありません)
オリジナルです。
9. Something is Worrying Me 何かが俺を悩ませる
(オーティス・レディング、フィル・ウォルデン)
個人的には「マイ・ガール」を思い出してしまいます。きっとモータウンを意識してたのでしょう。
10. Security セキュリティ
(オーティス・レディング)
オーティスの代表曲の一つです。歌はもちろん素晴らしいのですがバックの演奏も決まっていて、特に流れるようなベースラインが特筆モノです。
11. That’s What My Heart Needs 我が心の糧
(オーティス・レディング)
「ペイン・イン・マイ・ハート」「ユー・センド・ミー」に続いてワルツを取り入れたバラード第3弾です。シャウトの迫力も素晴らしく名演、名唱です。
12. Lucille ルシール(アル・コリンズ・リチャード・ペニマン)
(アル・コリンズ・リチャード・ペニマン)
リトル・リチャードの代表曲で、バンドメンバーと列車に乗っているときにこのリズムを思いついたとのことです。
オリジナルはほとんどの楽器が低音域を使用しているので明るい感じではない、と言われていますが低く力強いバックに乗せて高い声でリトル・リチャードが歌っています。
独特のロックンロールのノリがポール・マッカートニーをはじめ、いろんなミュージシャンにカバーされてきました。
クイーンやディープ・パープル、ドアーズなどもカバーしています。
またB.B.キングは自分のギターを「ルシール」と呼んで大切にしていたのは有名です。
オリジナルです。


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